「北海南嶋開放問題」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「北海南嶋開放問題」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

北海南嶋開放問題

内地雜居尚早論に就ては我輩も既に〓々その非を述べたる所にして世論も漸く順に歸するの色ある折柄たまたま政府にては日布條約の改正を發令して雜居を許すの方針を明かにしたるより群議一掃もはや彼の論者も論鋒を收め他を顧みんとするに至りたるは恰も一段落を告げたる姿にして國の爲め賀す可きことなれども或は猶も餘炎を保ちて本嶋の雜居は不可なしとするも北海道及び沖繩縣の如きは堅く制限を設けて入らしむ可らず即ち雜居は有制限たる可しとて更に論陣をこゝに托し以て反對を試みんとするものなきに非ず今や雜居問題は變じて北海南嶋開放問題となれり我輩は歩を進めて其開放も亦敢て憂ふるに足らざる所以を一言せんに吾々が日本の小域内に於てかの南北の兩嶋を見ればこそ洵に一大富源にして且つ未開に屬するが故に資力ある外人に在ては定めて垂涎三尺なる可く雜居所有の自由を得たる暁には全嶋を買占め壟斷の利を利せんとて現に待設けつゝあるが如く想像することなれども眼を放て世界を見渡せば南亞米利加なり亞弗利加なり千里萬里の沃野空しく太古の儘に存して唯人の占むるに一任するもの甚だ多く而も其地味と云ひ廣袤と云ひ我が全州を傾けても猶ほ及ばざるもの歴々指顧の間にあり未だ此大富源を開くこと能はざるに何の遑ありてか絶東の小嶋嶼に垂涎せんや若し來る者あらば是れ我が薬嚢中に入るの輩にして毫も以て憂となすに足らず其これを憂ふるは畢竟日本あるを知りて世界あるを知らざるものと言はざる可らず飜て我國の國情を如何と云ふに人口の增加は年々歳々著しく活路追々に迫りて人人永く墳墓の地に固着す可らず隨て移民の計畫ますます盛なるは勢の免れざる所にして現に北海道移住者の如きも一昨年よりは咋年、昨年よりは今年と次第に其數を增すこと啻に數倍のみならずと云ふ此有樣を以て進むときは北海を開成拓丁せんこと程遠からざるや明白にして沖繩縣下の遺利に於けるも亦以て推すに足る可し外人の壟斷などゝは思ひも寄らざる所にして苟も利の收む可きあれば日本人は決して後れを取る者に非ざること從來の實例に徴しても知る可し况んや外來の者は言語も通ぜず萬事不案内にして不便多きに引換へ我國人に取ては假令ひ蝦夷琉球の果にもせよ人は同胞、地は比隣に等しく諸般の便宜自由自在なれば同じく移住を企つるものとしても内外の相違は難易の分るる所にして彼の我を壓倒すること能はざるは理に於て覩易き所なるをや或は人口の增加かくの如く急なるが故に北海南嶋の空地は宜しく外來を遮斷して邦人の移住に供す可しと云ふ者あらん歟なれども他より來る者を拒むときは吾より往く者も亦拒む所とならんは必然にして萬一かゝることゝもならば我立國の前途は誠に懸念の至りと云はざる可らず廣き世界の競爭塲裏に馳騁して勝敗を決するの外他策なきは日本人民今後の運命にして大勢の然らしむる所避く可らざることなるに僅に彈丸黒子の十二嶋嶼を封じ之を又となき移住地として宇内無量の遺利に對しては少しも指を染むること能はずとせば實に失望落膽の限りならずや論者の如きは小を見て大を見ず今日を思ふて明日を思はず眼孔豆の如く共に國事を語るに足らざる者と云ふ可きのみソハ兎も角も一任我輩の推測する所事實に違ひ外人の巨資を抱く者が潮の如く入來りて或は千嶋全部を買占め漁獵の權を壟斷するか或は沖繩全嶋を専領して云々するか捨置く可らざるの實跡を現はすことありとせんに是亦敢て驚くに足らず日本帝國微なりと雖も行政權のあるあり行政權の蔭には警察權あり又軍備あり之によりて臨機の處分をなし國家の健全を保たんとするに何の妨げある可きや若しも然る塲合に臨み適宜の措置を施す能はずんば是れぞ主權の全く死したると同樣にして海岸に鐡柵を設けて封鎖すと雖も決して獨立を保つ可らず假りに今の政府を優柔なりとして此等の信用をさへ置く能はずとするも政府にして果して任に堪へざるときは之を改むるも隨意にして結局人民の氣力懦弱の極に陥らざる限りは斯る悲慘の域に沈淪す可くもあらず我輩自から信するに日本國民の状況未だ其邊の杞憂を容るゝに足らず論者も心を安くせんことを勸告する者なり何れの點より見ても全國を開放するに躊躇す可き仔細とてはなく唯論者が外情に不案内なるが爲め徒に妄想を描いて所謂疑心暗鬼を生ずるものならん想ひ起す我開國の初に當り外國との通商交易を以て一に國産を奪ひ去らるゝことゝ誤解し穀物を輸出せしむるときは國内餓死せんも測る可らずとて嚴に米麥の輸出を禁止したることありしがいよいよ實際に就て見れば前日の憂慮は眞に一笑を催ほすのみにして時に外國米の來りて我不足を補ふことさへあるに至れり今の雜居を非とする者將た各種の自由を制限せんと欲する者の如きは取りも直さず彼の米麥の輸出を禁止したると同樣の筆法にして世に不知無識ほど憫む可きはなし唯論者が今猶古への如く依然たる舊幕時代の思想を脱せぜるは我輩の特に遺憾とする所なるのみ