「政府の勢力畏るゝに足らず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「政府の勢力畏るゝに足らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政府の勢力畏るゝに足らず

今の政府は藩閥政府なり藩閥政府打て倒す可し否な取て代る可しとて之を攻撃するは一般の流行にして殆んど天下の輿論とも云ふ可きが如くなれども又一方には藩閥政府厭ふ可しと雖も其勢力は侮る可らず取て代るなどゝは容易ならずとて之を畏るゝもの多し是れ亦一般に行はるゝの説にして自から輿論として見る可きが如し等しく輿論にてありながら一方には打て倒す可しと云ひ一方には其勢力畏る可しと云ふ辻褄の合はぬ話にして我輩の判斷に苦しむ所なり藩閥政府のいよいよ厭う可きや否やは兎も角もとして抑も今の政府の勢力畏る可しと云ふ其勢力とは如何なるものなりやと云ふに或は政府には兵隊あり軍艦あり然のみならず憲兵と云ひ警察の仕組と云ひ孰れも強有力の實を具ふるが故に畏る可しとの意味ならんかなれども凡そ世界の文明政府にして陸海軍の備なきものありや又警察の仕組なきものありや若しも之を以て政府の勢力と認めて其勢力を畏るゝときは政治の改良は到底行ふ可らず人民たるものは口を噤して一切政治を絶念するの外なけれども天下豈に斯くの如きの理あらんや兵隊警察は國を護り治安を維持する爲めの用意にして政府と人民と政治上に相對する關係に於ては全く用なきものと知る可きなり左れば政府の勢力云々とは兵隊警察に關係せざること明白にして自から他に存せざるを得ず我輩の所見を以てすれば今の政府が兵隊警察の力を利用して云云するが如き萬々なき所のみならず實際に能はざる所なれども間接直接に實業の事に干渉して隱然その勢力を社會に及ぼすの事實は自から掩ふ可らざるものあるが如し例へば從來或る實業會社の社長を進退するの權を政府の手にて握りたるが如き本來は只これを監督するの意味に出でたるものならんなれども社長進退の權政府に在るときは其會社の全體も自から政府の力を以て動かさるゝは勢の免れざる所にして一般の株主は申す迄もなく假令ひ株主たらざるも其會社の事業に利害の關係ある輩は自然に政府の鼻息を仰て其一顰一笑を見て喜憂するの情なきを得ず即ち斯る種類の輩が世間に多ければ多きほど政府の勢力は多々ますます盛なる譯にして從來屈指の大會社が其社長の進退を他に仰ぎたるの事實を見るときは其勢力の如何も亦思ふに足る可し或は近來に至りては斯る會社も大抵は社長の官選を止めたるが故に此邊の掛念も自から減じたりと云はんかなれども更に一歩を進めて論ずれば政府は啻に間接に干渉を試みたるのみならず現に直接に手を出して自から實業を營みつゝあるに非ずや即ち鐡道の事業を始めとして或は電信の如き電話の如き孰れも純然たる商賣營業にして政治には一毫の縁もなきものなるに政府は之を官設の事業として公然その業を營めり其結果は單に人民の利益を私するに止まらずして政府の勢力をして強大ならしむるの實を見る可し即ち鐡道は申す迄もなく電信と云ひ電話と云ひ運輸交通の利器にして實業上には最も密接の關係あるものなるに政府が之を専有して自から其業を營むとあれば人民は恰も實業機關の急所を政府に抑へられたるものにして自から屈する所なきを得ざるのみならず其事業に從事するものにして其人數を計ふれば幾萬人の多きに至ることならん况んや間接に其事に關係して利害を感ずるものは單に内國人のみならずして外國人の中にも少なからざるに於てをや政府の勢力強大ならざらんと欲するも得べからず論者が政府の勢力畏る可しと云ふ其意味は明白ならざれども盖し此邊の事情を指したるものなる可し果して然らば我輩も其感を同ふするものにして藩閥云々の論は姑く別としても其勢力を減ぜしむるの法を講ずるは實業發達の爲め必要の處置なる可し抑も政府とは字義の如く政の府にして其役目は政を行ふの一事に外ならず左れば其役目を行ふが爲めに法律上に許されたる行政の權力を奮ふは差支なけれども苟も正常の區域を離れて實業上に勢力を及ぼすが如きは之を目して政權の濫用と云はざるを得ず専制の時代なれば兎も角も立憲の今日にあるまじき擧動にこそあれば人民たる者は其濫用を制するの工風なかる可らず即ち鐡道以下の如き事業は人民の營業として政府の手より譲受くるは勿論、更に一歩を進むれば彼の農商務省が勸業など稱して恰も實業社會の先導を以て自から任ずる如き又文部省が教育學問の事に干渉して動もすれば方針を云々するが如き孰れも餘計の事にして入らざるお世話のみか其結果は政權を濫用して徒に政府の勢力を張るに過ぎざるものなれば兩省の如きは全廢して干渉の源を絶ち政府の事務としては單に其報告を爲すに止めしむること至當なる可し斯くの如くなるときは政府の行政は全く正當の區域に止まりて其勢力亦畏る可きものはなき筈なるに然るに今の世間の人々は政府を攻撃するに法律上の空文を先にして其實力を制するの工風に出でず一方には藩閥政府倒す可しと公言しながら一方には其勢力に辟易して大に之を畏るゝが如き我輩の毫も解せざる所なり