「私設鐡道自由に許す可し」
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時事新報に掲載された「私設鐡道自由に許す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
私設鐡道自由に許す可し
近年來經濟社會の形勢一變して實業振起の氣運に向ひ私設鐡道の出願の如き續々踵を接して數ふるに遑あらず官設鐡道拂受の大計畫さへも企てゝ怪しまざるに至れり氣運の向ふ所は區々たる人爲の力を以て左右す可きに非ず其向ふ所に任せて自由の方針を取り自然の發達を得せしむるこそ國の繁昌を致すの道にして至當の處置なるに政府當局者の小膽なる平素は實業奬勵など稱して事の助長を以て自から任じ時としては無益の勸誘を試みながら氣運一たび到來して人民自から事を發起するに至れば忽ち逡巡畏縮の情を催ほして却て反對に干渉し自然の發達を妨げんとするの擧動あるは笑ふに堪へたりと云ふ可し例へば一兩年前紡績の事業繁昌の端を開き各會社に於て增錘の計畫あるや當局者は遽に狼狽して机の上にて調べたる統計表などを持出し現在の錘數は若干にして需用供給の割合は云々なり熟ら熟ら前途の成行を考ふれば增錘の計畫容易ならず當業者の大に警しむ可き所なり云々とて恰も説諭がましき説を爲して世間に發表したることあり今日と爲りて自から顧みたらば赤面に堪へざることなる可し凡て當局者の手段は毎度かくの如きものにして失敗の經驗も少なからず自から悔悟して自から謹しむ可き筈なるに實際は然らず鐡道私設の出願の如き前述の次第にして自由に許して差支なきにも拘はらず兎角因循して決斷せざるのみか現に孰れの點より見るも故障なきものにても之を許したる上にて收益の計算如何あらんなど入らざる事にまでも心配して容易に斷ずること能はざるが如し人民こそは難有迷惑と云はざるを得ず今回議會の承諾を求めたる比較線路の決定又は私設の許可の如き當局者に於ては或は時勢に應ずるの必要と認めたるものならんなれども到底一般の希望を滿足せしむるに足らず既に出願中のもの又は目下出願の計畫あるものを悉く許可して何の差支あるや多數の計畫中には或は永遠の見込なきものもあらん或は一時の利を博せんとするものもあらん必ずしも純粹無雜のものゝみには非ざる可しと雖も之を許して實際に差支なき其證據は近く彼の取引所設立の許可に在り取引所の設立に就ても最初は私設鐡道と同樣、全國の出願を悉く許すときは種々の事相を呈して其結果容易ならざる可しとの意見もありし由なれども當局者は大に決斷して自由の方針を取りあらゆる出願に一切故障を言はずして悉皆これを許可したり扨今日に至りて其成行を見るに一時の熱に乗じて出願したるものはいよいよ設立したる所にて實際に商賣取引の實、行はれざるが故に次第に自滅の姿を呈し之に反して商賣取引の相應に行はるゝ塲所は其取引所も亦相應に繁昌して今後も永く繼續することなる可し即ち其自滅と繼續とは自然の數にして或は設立の間もなく自滅したる地方の發起人の如きは多少の損失を招きたることならんなれども其損失は自業自得にして何人に對しても不平を訴ふるを得ず其成行穩にして別に結果の容易ならぬものあるを見ず若しも此反對に當局者が自家の手心を用ひて自由に許可せざりしならば實際に自滅す可きものも自から悟らずして唯、許可を得ざるが爲めに折角繁昌す可き商賣も行はれずとて大に不平を鳴らして其苦情は今に絶えざりしのみならず實際繁昌す可き者も設立を見る能はずして大に不便を感じたることならん取引所許可の一事は後學の爲めに此上もなき好き手本を與へたるものと云ふ可し左れば鐡道の出願も之と同樣にして自由に之を許可するときは自滅す可きものは自滅し成立するものは成立するまでのことなれども今の人民は決して愚ならず鐡道の如く少なからざる資本を要する事業を見込もなきに企てゝ自から損するが如きものは實際に稀れなる可し喩へば湯屋の商賣にしても其界隈の人口に比例するものにして府下の如き繁昌の土地ならば凡そ一町内に一軒ぐらゐの割合なる可し又豆腐屋の如きも同樣の次第にして一町内に幾軒の豆腐屋は同時に成立す可らず經濟社會自然の制限に從ふものなれども然れども若しも從來の湯屋の隣に更に其業を營まんとし又一町内に幾軒の豆腐屋を同時に開かんとするものあるときは如何に處分す可きや湯屋豆腐屋の數には素より制限の規則あらざれば自由に之を許して自然の興敗に任ずるの外なかる可し唯實際には規則上の制限なしと雖も自然の制限に制せられて斯る事の行はれざるのみ此點に就ては鐡道の事業も亦湯屋豆腐屋の營業に異ならずして到底成立の見込なしと知りながら出願するものはある可らず假令ひ斯る種類のものあるも他より之を制限するの理由はなき筈なれば當局者たるものは須く大膽に構へ鐡道も亦是れ湯屋豆腐屋なりとして自由自在に之を許可せんこと我輩の敢て勸告する所なり