「地方事業と資本家」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「地方事業と資本家」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

地方事業と資本家

殖産の眼を以て日本國中を見れば鑛山なり開墾なり運河なり鐡道なり新に着手す可き大事業少なからず之に着手して必ず利益ある可きは人々の認むる所なれども地方の人は斯る大事業を企るの資本に乏しくして利益とは知りながら其利益の遠きが爲めに手を袖にして傍觀するもの少なからず又東京其他の金滿家は莫大の財産を擁して其用法に苦しみ若しも前途に望ある事業ならば放資を愛まずとて頻りに之を求むれども得る能はずして餘儀なく資本を閑殺して預金又は公債證書等の薄利に甘んずるもの多しと云ふ一方には斯る事業あり一方には斯る資本あり若しも兩々相投じて事の着手を見るに至れば當業者の利益は云ふまでもなく國の繁昌の爲めにも喜ぶ可き次第なれども茲に不思議なるは地方の人々が兎角他の資本家の着手を嫌ふて動もすれば之を妨げんとするの一事なり例へば開墾又は鐡道の計畫の如き常に地方人民の反對を免れずして或は着手の中途に苦情を生じて豫算外の金を費すこともあり或は之が爲めに折角思ひ立たる計畫を止めたるなどの沙汰もなきに非ず其苦情の中には眞實の迷惑より唱ふるものもあらんなれども我輩の聞く所にては單に他の着手を喜ばずして之を妨げ甚だしきは無理なる苦情を訴へて不法なる錢を貪らんとする者多きが如し例へば鑛山の借區に近郷近村の承諾と云ひ、實際の痕跡もなきに鑛毒の損害云々と言立て、又は鐡道の敷地收用を澁るが如き人の足元を見て弱味に付込む狡猾手段なり元來地方人に着手の力あれば遠慮に及ばず自分にて企つ可きなれども夫れは自力に叶はずと知りながら他人の業は之を妨げ遂に國有の利源を空ふして寶の持腐れにせんとす冥利を知らざる者と云ふ可し現に事の成効を告げたる地方の情況を見るに最初の苦情にも拘はらず一般に新事業の恩澤を蒙りて面目を改める其有樣は想像の限りに非ず若しも疑を懐くものあらば試に鐡道の開通後と以前とを比較して其沿道の景况を見よ一見直に明白なる可し即ち新事業の利益は單に資本家の懐を肥すに止まらず地方の人々も共に其餘澤に霑ふて利することなれば從來の疑惑を拂ひ目前の貪慾を愼み誰れ彼れの別なく資本家を歡迎して一般の大利源を開くこそ自家の得策なれ或は斯くの如くなるときは地方の事業は細大となく悉く他の大資本家の手に歸して地方人は一切萬事、その餘蔭に生活するの勢を成し主客顛倒、自立の地位を失ふて恰も小作人と地主との關係と同樣なるに至るの掛念はなきやと云ふに決して然らず鑛山鐡道等の如き大事業の外に小資本を以て着手す可き事業を計ふれば各地に多き山林の如き蠶絲業の如き又は小仕掛の開墾の如き隨分利益の近きものにして地方の人が之に着手するときは成算疑なけれども他の大資本家の捨てゝ之を顧みざるは其利を知らざるに非ず斯る事業は細々の注意最も肝要にして大家の經濟上に却て不利なるが故なり例へば田舎の田地の如き目下の有樣に於て利益の著しきのみならず今後の望もいよいよ大なれども東京などの金滿家が實際資本の用處に苦しみながら其買入に着手するものなきは勘定の上にては利益に相違なけれども實際の監督甚だ困難にして遠隔の地より目的を達すること能はざるが故なり左れば地方には自から地方に適するの事業あり他の大資本家が如何に金力に富めばとて斯る些末事にまで手を出して細大となく事業權を専領するが如き掛念は萬々ある可らず我輩の慥に保證する所なり或は地方にも資本なきに非ず其大家にして大に爲すことあらんとするものは宜しく他の金滿家と聨合して計畫する所ある可し斯の如きは土地の事情に不案内なる資本家の望む所にして地方の氣受も好きことならんなれば双方の便利なる可し要するに大事業の結果は其土地一般に潤澤を及ぼすものにして古來これが爲めに衰微を招きたるの例とてはあらざれば苟も地方の公益を知らん者は安心して他の資本家を迎へ出來得るだけの便宜を與へて新事業の着手を促すこと自家幸福の基なる可し