「ペスト豫防費の支出」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「ペスト豫防費の支出」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

ペストの防禦には國力を擧てあらゆる方便を盡す可し金錢の如き决して愛しむに足らずとの旨は前號に論じたる所にして世間一般に於ても此事に就ては異議もなきことならん若し萬一も防禦の法を忽にして來襲を蒙ることもあらんには其慘状は如何なる可きや殆んど想像の限りに非ざる可し千三百四十八九年の交、同病が世界に流行したる時の歴史を見るに亞細亞にては殆んど二千四百萬人の死亡者あり歐洲にては二千五百萬人にして倫敦市中のみにて十萬人、伊太利の如きは其人口の半數を失ひたりと云ふ慘酷の有樣これを聞くも人をして戰慄せしむるに足る可し或は醫學衛生學の進歩したる今日に於ては假令ひ其病の發するも數百年前の如き慘状を逞ふせしむることはなかる可しとの説もあらんかなれども彼の黒死病は爾來殆んど其跡を絶て醫學上の研究に漏れ其病毒傳染の如き空氣より傳はるものか或は單に物に依りて傳はるものか醫學社會にも一定の説なき程の次第にして唯その怖る可き傳染質のものたるを知るのみ即ち其傳染の急劇にして死亡の割合の多きは赤痢コレラ等の比に非ず現に支那地方の有樣を見ても怖る可きの事實は明白なれば其流行地に接近する我國に於ては防禦の工風、决して等閑に付す可らず若しも其來襲する所となりて幾十萬幾百萬の人を殺すにも至らば人民の不幸は申す迄もなく國内の騷動は非常にして商賣も政治も行はる可らず容易ならざる國損にこそあればあらゆる方便を盡して一意防禦に從事すること肝要なりとして扨實際の手段としては流行地より來る船舶に對して■(てへん+「檢」の右側)疫規則を實施し其乘客荷物には消毒遮斷の法を嚴重に行ひ又内に於ては一般の人民に清潔攝生の法を説諭して之を實行せしむる等、その事は多端にして政府の官吏のみにては迚も間に合ふ可きに非ず或は官吏の手に乏しからずとするも病毒防禦の事は醫者の任にして素人なる官吏輩に一任して安心す可きに非ざれば廣く國中の醫者を雇入れて其事に當らしむるの必要もある可し何れ莫大の費用を要することなれども斯る塲合に其費用は决して愛しむ可きに非ず我輩は大に國庫の金を支出して充分に防禦の手段を盡さんことを敢て勸告するものなり扨いよいよ國庫金支出と决したる處にて爰に一の故障は斯る支出金の常として動もすれば種種不可思議の成行を呈し目的以外に消費さるるもの多きの一事なり或は政府が責任を負ふて國庫の金を支出するには一錢たりとも曖昧の消費は許す可らず苟も之を支出する以上は政府に於ても充分に監督して使用法を嚴密ならしむるは勿論、人民たるものは亦その意を體して大に謹しむ可し今日の實際に果して其保證を爲し得るや否や若しも保證すること能はずとあれば一錢の支出も不可なりとの説もあらんなれども凡そ是種の金に多少濫費の患あるは單に日本のみならず世界各國いづれも同樣の成行にして今の文明の程度に於ては到底免れざるの弊習なりと知る可し例へば岐阜愛知の震災に際し國庫より支出したる救助費の如き事後に至りては種種の非難も少なからずして實際に曖昧の始末もありしことならん誠に相濟まざる次第なれども左ればとて斯くの如き大災難、幾萬の人民、塗炭の苦痛を眼前に眺めながら後の始末を掛念して救助の支出を思ひ止まることを得べきや否や同胞の情として忍びざる所なる可し况んや今度の病毒の如き一時の慘状は震災の如く急激ならざるも若しも其毒を國内に縱て幾百萬の人民を殺すに至らば全體の損害は决して前年の震災と同日の談に非ず容易ならざる次第にこそあれば多少の濫費は當然の事として大に决斷す可し實際、眞實の目的に使用さるるものと目的外に消費さるるものと其割合の如何は素より知らざれども假りに百圓の内、三十圓は無駄に歸するものとして若しも其三割の濫費を掛念するが爲めに充分の支出を爲さずして病毒の猖獗を逞ふせしむるときは一國全體の損害は决して濫費の額に止まらざる可し左れば斯る塲合には多少の濫費は覺悟の前として之を問はず幾百萬圓なり幾千萬圓なり充分に防禦の目的を達せしむるに足る可き金額を支出し以て全體の大損害を免れんこと我輩の希望する所なり