「上奏案の通過」
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時事新報に掲載された「上奏案の通過」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
上奏案の通過
一昨日衆議院を通過したる上奏案に就き人或は云ふ同案は交渉六派が言を自由黨提出上奏案の修正に托して曩に否决せられたる彈劾的上奏案の復活再演をなしたるものなり文字に於てこそ相異あれども其旨意は遠く自由黨案を離れて近く夫の彈劾案に密接するものなり即ち當時否决と定まりたる衆院の意志を飜へしたる次第なれば取りも直さず反覆常なき議决にして毫も重きを置くに足らずとの説あれども我輩の所見は大に然らず抑も前日の彈劾案は條約■(がんだれ+「萬」)行の精神を主としたるものにして其文中明に
臣等深く現條約の實施に關し國權を汚涜する少からざるを慨き閣臣をして其權義を明確にし之を■(がんだれ+「萬」)行せしむるの建議を提起す其意素より開國進取の皇謨を翼賛するに外ならず然るに閣臣之を誣ひて以て鎖國攘夷の言議となし倉皇停會を奏請し次ぐに解散を以てし云云
とあり然るに此回の上奏案の文面には
特に外政に至ては偸安姑息唯唯外人の歡心を失はんことを是れ畏れ内外親疎輕重の辨別を顛倒するに至る云云
とあるのみにして意義漠然少なくとも文字の上に於ては决して■(がんだれ+「萬」)行鎖攘の言たるを認む可らず即ち排外論者も昨非を悟り着着改良の實を示すものなれば我輩は之を頑固者流の衰滅に近づくものとして國家の爲めに大賀せざるを得ず蓋し衆院にても曩に六派案を否决したるは■(がんだれ+「萬」)行排外の意味あるが爲めにして此回の上奏案を可决したるは此意味を除きたるが故に外なかる可し左れば前後の兩案たる全く要領を異にするや明白にして其相同じきは從來の政弊に顧みて不信任を表し彈劾を試むるの點にあるのみ換言すれば■(がんだれ+「萬」)行排外をば否認せしかども不信任彈劾をば可認したるものにして衆院は决して其意志を反覆せざるは勿論多年世人の熟知せる官民不調和の結果遂ひに爰に至りたることと視做さざる可らず或は内部の魂膽を云云して議决の不當を鳴らす者もあれども既に一旦衆院の多數を得て通過したる上は之を等閑に貘視する能はざるは申す迄もなきことにして必ずや引續き之に對するの始末を見ることならん回顧すれば第四議會に於て此種の衝突あるや大詔の煥發によりて纔に局を結び第五議會に於ては政府と議會と和恊以て國事に當るの望なしとて解散を斷行することとなれり(解散の眞意は■(がんだれ+「萬」)行論にありと雖も其■(がんだれ+「萬」)行論も亦民黨の策略にしてツマリ不調和の結果たり故に總理大臣も此不和を以て解散の斷案となせしなる可し)大詔と云ひ解散と云ふ凡そ手段も試み盡したるの今日に於て内閣は夫れ將た如何の處置を取る可きやは是れより以後の問題にして我輩の關心注目する所また實にここに存するのみ
若しも度外に抛棄せずんば内閣は辭職す可きや否や曾て第五議會に於て官紀振肅に關する上奏をなしたるに當り陛下には樞密院へ御諮詢あらせられ給ひ總理大臣は其進退に就き聖斷を仰ぎ奉り而して當局農商務大臣の引退によりて一段落を告げたることもあれば此回も或は御諮詢あらせらるるやも知る可らずと雖も官紀云云は一部の攻撃にして不信任彈劾は全部に亙るものなるが故に總理の責任も彼の一部の際にこそ間接なれ此全部の塲合には最も直接なれば此回は眞に自から責を引いて退く可きか若くは進退を伺ひ奉りて然る後に决す可きか凡そ此邊に落着することならんと雖も之に就て我輩一の所望ありと云ふは外ならず累を帝室に及ぼさざること即ち是なり抑も衆院の擧動に付て論ずるときは假令へ如何に政府と衝突して其始末に苦むとも决して上奏に訴へて帝室を煩し奉る可らずとは我輩平生の持論なれば此回の上奏の如きも之を忌むこと蛇蝎よりも甚だしく其不都合は筆紙に盡し難き程なれども既に事ここに至りたる上は深く咎むるも復た今日に益あるを見ずセメテは政府が帝室を尊重するの心を以て衆院の尤めに傚はざらん事こそ願はしけれ今衆院が上奏權を濫用したりとて政府も亦隨て煩累を歸し奉るに於ては啻に暴を以て暴に代ふるのみあらず閣臣は民黨と共に双方より齊しく帝室を煩はし奉るの沙汰にして政界また誰ありて尊嚴を擁護し奉る者なきが如き世に淺ましき現象を呈することとなる可し天下心ある良民の涙を揮ふて歎息する所なれば幸に元勳諸氏は其元勳たる所以を靜思し始末の方策の何れに出づるを問はず唯この一事を愼まんこと我輩の呉呉も祈る所なり敢て閣臣の引退を促すにあらず偏に皇徳に關するあらんを懼れ昨年總理大臣が進退伺をなしたるの事例に徴して聊か未然に婆言を呈するものなり