「蒸氣は壓倒せらる可し」
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時事新報に掲載された「蒸氣は壓倒せらる可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
本年四月十九日發兌の米國雜誌に右題號の意味を表はしたる一編の文章あり左しも此十九世紀に或は船となり車となり又は印刷機となりて人心の根底より革命を行ひ向ふ所、敵なかりし蒸氣力も電氣と云へる新來の強敵に遇ふては最早や暮るゝに埀とする同世紀の臨終だも待たず日下開山の稱號を彼に讓らんとす此時勢の變遷は輕々看過す可きに非ず即ち右の文章を抄譯して社説に代ふ
時の實業上の大運動を觀察して最も機敏なる實際の學者の説に今や電氣ほど資本家の心を動かすこと大なるものはなし其高の多少を論ぜず苟も何かの事業に放資して利潤を見んとする所の餘剩金を所持する人々は電氣を商賣上に利用せんとの目的を以て會社組織を計畫する者共の説に耳を傾くること其他の商賣上の思付を以てする建策に超えたりと云へり
左ればこそ近來國中の電氣鐵道を擴張せんとの目的を以て斯くまで巨額の金の集りたるも偶然に非ざるを了解するに足る可し現に資本家數名は電氣車をして(ハヅスン河を隔てゝ紐育市と相對したる)ジエルジー市より市民往來の大道を通じてフヰラデルフヰア市に至るまでの間を往復し得せしむる所の線路築造の爲め既に數百萬弗を出金せしが此出金の事は昨年中恰も金融逼迫の最中に思立ち或は本年の夏をも待たずして工事に着手す可し
資本家は長日月を待たずしてボストン市より紐育に至るまで電氣車を通じて旅客の便を得せしむ可しと云ひ又國内にて屈指の或る會社は行く行くはオルバニー、バツフアロー兩市の間に車を運轉するに足る程の電氣を供給せんと期し居れり
オハヨー州の或る官吏は此ほど紐育市の左る商人數名に向て我州の中に在る市々村々の間をば電氣車を以て?ぐこと猶現在の電信線及び電話線の如くならしむるは盖し十年を出でずと斷言して一驚を喫せしめたり又シカゴ萬國博覽會を見物せし或る名の聞えたる外國の理學者の所見に方今合衆國内に發達しつゝある電氣車諸會社が其區域を廣くして結合體を成すこと彼の電信諸會社の手廣く同盟して遂に西部同盟組合を組織したるが如き有樣に達するは遠きに非ざる可しと信ずる旨を陳述したり
更に疑懼することなくして此企業に金を下す所の資本家は利益を得んとするより外、何等の目的あるに非ずと雖も抑も又彼等は人民往來の公道を開て電氣車線の完全なるを得るときは其沿道に在る社會と社會との間に交際及び商賣の聯絡を通して更に利益ある可しとて此邊にも注目する者なり盖し此線路布設は新に大富源を發するのみに止まらず尚ほ其外に交際上の發達に付き殆んど想像外の勢力を呈することある可し
扨この電氣鐵道發達の爲めに生じ來る可き變化は一にして足らずと雖も或人の説に其交通の便は以て人民が都會に輻輳するの傾向を制止す可しと云へり然かのみならず又或人の想像に從來都府に住居する幾千萬の人は地方に去て居處を求め都下は却て寥々として昔年の群集に反對の有樣を呈すること遠きにあらざる可しと云へり
今是等の説を作す所以を聞くにも何人にても一家内の者が田舎に住居すればとて門前より電氣車に乘て容易に都に往來し賃錢も安く發車の度數も頻々なりとの事實を發明しなば田舎暮しに對する大故障の一箇條は先づ以て消散したる姿なり田舎と都と互に懸け離れて住居する者も恰も軒を接して並び居るが如くなるが故に大なる市府村邑の郊外は大に面積を開くに至る可しと云へり
人民の公道に電氣車を利用することは今日僅かに發達したるのみなれども右の説の正確にして違はざる次第は實際既に證明したることあり今や旅客はボストン市の北二十哩の點より同市の南十三哩の點に至るまでの間に車を下りて歩行すること二分間と車を乘替ること二三回の時間を除くの外その全長をば電氣車に乘て往來することを得可し尚この外にボストン市の郊外は四方八方に電氣車線路の聯絡を成しロード アイランド州、ツロイ、オルバニー兩市の近傍、ニウ ジエルジー州ロング嶋及び西部諸市の中にて人戸稠密なる地方の電氣車線路は是まで蒸氣鐵道の專有に歸したる所の乘客商賣を大に侵掠したり
合衆國中にて屈指の名ある某鐵道會社事務長の説に僅僅數年の中に蒸氣鐵道は其方法を變更するの止むを得ざるに至る可し其次第如何と云ふに電氣車線の發達は遂に蒸氣鐵道をして止むを得ず其營業の區域を狭くし急行直達の運轉にのみ限らしむるに至る可しと云へり