「新聞記事取締の注意」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「新聞記事取締の注意」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

新聞記事取締の注意

今回政府にては朝鮮の事に關する新聞記事の取締に注意し之が爲めに發行停止を命ぜられたるものさへあるに至れり今の日本社會の有樣は軍人は申す迄もなく普通の人民までも無事無聊に苦しみて何か事あれがしと祈ること殆んど一般の情なるが故に若しも此際記事を謹まずして國事の秘密を公にし又は種種の想像を逞ふして恰も小説的の記事を掲ぐるが如きあらんには忽ち人心を煽動せしめて容易ならざる事相を呈するに至る可し新聞記事の最も謹しむ可き所にして我輩の如き今回の事に就て竊に聞く所のものも少なからず又かくかくの事を記せば必ず時好に投じて大に喝采を博することならんとは自から知らざるに非ざれども唯新聞記者たるの徳義を守りて之を公にせざるのみ思ふに他の同業者とても同樣に心得ることならん必ずしも他の取締を要せざるが如くなれども凡そ斯る塲合に熱し易きは普通の人情にして萬一にも人心を動かすに足る可き記事が一たび紙上に現はるるときは覆水盆に返らず如何樣に之を取消すも又は其發行を停止するも最早や其甲斐ある可らず左れば政府の筋に於て此際特に取締に注意するは自から臨機の處置として敢て異議なき處なれども既に政府が新聞の取締に注意する上からは我輩も亦政府の筋に向て聊か所望なきを得ず從來政府の官吏が新聞記者に接する擧動を見るに兎角事を秘して知らしめず或は新聞紙に掲げて世に公にするも差支なきのみか寧ろ利益と爲る可き事■(てへん+「丙」)にても尚ほ之を秘密に付して知らしめざることさへなきに非ず政機軍機に關する如き事■(てへん+「丙」)ならんには飽までも秘密を守らしむ可し、犯す者は之を罰して一歩も假す可らずと雖も唯秘密秘密とのみ稱して何事も隱さんとするときは之を隱すほど之を知らんと欲する者の多きも亦自然の人情にして偶然に何か聞込む所あるときは其眞實秘密に付す可きものと然らざるとの區別を問ふに遑あらず直に之を公にして却て事を誤ることなきに非ず或は又種種の想像説を附會し所謂小説的の記事を捏造するが如き畢竟餘りに事を秘して一切聞知せしめざるより生ずる餘弊にこそあれば政府に於て取締に注意する以上は苟も事の秘密に屬するものは嚴重に戒を守りて一切漏らさざると同時に一般に知らしめて差支なき事■(てへん+「丙」)は颯颯と之を公にして新聞に記載せしむるこそ寧ろ事の誤解を防く所以なる可し或は政府の筋にても上位に在る長官の流には此邊の分別もあることならんなれども事の局に當る小官吏の輩に至りては何分にも變通の手心に乏しくして只管事を窮屈にするの弊なきに非ざれば其局に當らしむるものには相應の人物を選みて其弊を避くること肝要なる可し新聞紙が不注意にして記事の筆を誤るときは忽ち處罰の制裁あれども官吏が漫に秘密法を嚴にして必要の界を超ゆることあるも之を職權と稱して別に咎めらるる氣遣ひなきが故に念の爲にとあれば無益の事までも隱すに若かず即ち今日の實際に於て往往不都合の生ずる原因なれば呉れ呉れも相應の人物をして局に當らしめ實際の不便を少なくせんこと我輩の敢て希望する所なり