「内閣の奏議と條約改正」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「内閣の奏議と條約改正」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

議會の反抗を逞ふするに當り内閣が其自信を堅持して解散を斷行することあるは固より止むを得ざる處置なれども今回の解散に關する閣臣の奏議を見るに其主要とする所は衆院の上奏文中に條約厲行の意味を含むものと認め維新の國是に妨げありと主張したるに外ならず抑も厲行排外熱の撲滅せざる可らざるは言ふを俟たざる所なれども窃に其沿革を顧るに遠くは明治十四年頃に於ける政府の失策に起因し、近くは昨年或る論派が自由黨に反對して内地雜居尚早論を唱へたるよりの事にして一轉して條約厲行論となり遂に第五議會の解散を招くに至りたる次第なりしが爾來開國進取の正論に打破せられて大に其氣焔を減じたるより再轉して自主的外交論と改名し第六議會の劈頭に於て上奏以て政府を彈劾せんと試みたるに其文中猶ほ厲行云々の語を脱せざりしかば遂に多數に否决せられて爰に再び頓挫を來たし歩々ますます衰滅に傾きたるにも拘はらず失敗派は猶ほ俗に謂ふ負惜みの情に驅られ偶々自由黨より別種の上奏案の出でたるを機として之を修正すると稱し竹に木を接ぎたると同樣外政云々の文字を挿みて恰も前の上奏の旨意をも混合したるが如く裝ひ由て以て纔に通過せしめたるなれども當時我輩の論評したる如く其文義頗る漠然として啻に厲行等の語句を認めざるのみならず從來の關係より強ひて推測を下し假りに排外の意味あるものとすれば唯幽かに蟲の音を上げたるに過ぎずして是れぞ我輩が鎖攘熱の衰滅なりと敢て宣告するを憚らざりし所以にこそあれ即ち夫の上奏文と鎖攘熱との關係は右に述ぶつ通りなれども然らば上奏文は全く無味無臭にして政府に取りて何の痛痒もなきものなるやと云ふに决して然らず其「閣臣に信任を措く能はず」と云ひ「和協すること能はざらしむ」と云ふは一篇の骨子の在る所にして積年官民不調和の結果到底並び立つこと能はざるより罪を政府に歸するの上奏たるは勿論ツマリかの無謀なる厲行論の勢力を得たる所以も論の可なるが故に非ずして政府を苦むるの手段たるが故に外なければ政府は宜しく此點に着目し解散なり辭職なり進退いづれにても决斷するこそ至當ならんに上奏文中には殆んど認む可らざるの排外熱を理由となし却て其骨子たる不信任不和協の事をば言はずして以て解散を請ふの奏議となしたるは我輩の聊か解釋に苦む所なれども回顧すれば此不和協の事たるや既に一旦第五議會を解散するの理由なりとて其頃伊藤伯が貴族院議員の質問に答へたる復書中に明かなれば蓋し陛下に對し奉りても亦同一の理由を以て解散を奏請したるに相違なかる可し然る上は今また不和協なりと云ふも際限なき嫌ありとて扨こそ專ら厲行云々の意味に重きを置きたるもの歟若くは第五議會の折には厲行論未だ議决に至らざりしを以て明かに之を解散の理由となすこと能はざりしかども此回は其意味を含めるが如き上奏文の通過したるが故に餘事は扨置き之を以て單一の理由となしたるもの乎何れにしても事の實際に於ては第五期の厲行熱こそ慥に解散に價ひする程の勢力ありしが此回は寧ろ衰滅に傾きて不和協不信任熱こそ却て解散に價ひす可きものとなりしに奏議の理由とする所、彼此前後の塲合を顛倒したるが如きは是れ政界の一奇相として見るに足る可し

不和協は衝突の原因にして排外論は其波瀾に相違なけれども波瀾亦决して等閑に付す可らず明治十四年に於ける大失錯の反動は未だ全く幹を抜き根を絶ちたるには非ずして若しも今日の儘に因循時日を遷すに於ては又もや死灰の再燃せんも知る可らざるのみか猶ほ裏面に多少の温氣もありて殊に政府にては其温氣に惑はされ爲めに上奏文を誤解したる程の有樣もあることなれば此回の解散と共に全力を盡して排外熱を挫き今後再び社會を害せしめざるは申す迄もなく再び政府攻撃の手段ともなるを得せしめざる樣大に務むる所なかる可らず其法種々なる中にも條約改正を成就するは最も有力なる方便にして一たび其成蹟を天下に公示し國是の在る所を實にするときは是に於てか群議一掃また囂々の聲を絶つ可し過般發布したる日布條約改正の勅令すら内地雜居可否の論を一定したりとせば况んや全部に亘る條約改正の効能は推して知る可し國家の爲め政府の爲め急務中の急務なれば内には功名手抦の小爭を止め又民間反對派の物論を排し外には讓る可きを讓り取る可きを取りて成る可くは來期の議會開會前に成功を見んこと我輩の切に祈望し勸告する所なり先日總理大臣の議會に演説したる所によれば條約改正事業は今まさに進行中にして其成功亦近きに在る可しと果して然らば誠に賀す可き次第にして一説に衆院を解散したる所以も實は此事を遂げんが爲めなりと傳ふるもあり益す以て妙なりと云ふ可し萬一これに反して依然改正の目的を達すること能はずんば我輩は其事情の何たるを問はず當局者の熱心と伎倆の足らざる證據として隨て非難の聲を發せざらんと欲するも得可らざる者なり但し政變無常或は現内閣の大更迭を來たすことあらんも知る可らずと雖も次で出づる者も亦元勲中の一部たるに相違なかる可ければ其更迭の爲めに改正事業の進行を害せざる樣特に注意を望まざる可らず如何となれば解散は排外熱の爲めにして其熱の發生は明治十四年の餘毒なるのみ而して十四年の失錯は明治政府全體の到底免る可らざる責なければなり