「我兵の操練に就き」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「我兵の操練に就き」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

我兵の操練に就き

朝鮮内亂の爲め派遣せられたる我軍兵は不日京城の邊に於て操練す可しと云ふ東洋無比の操練以て清韓兩國人は勿論西洋諸外國人にも日本の兵威を目撃せしめて其睡眼を醒破するは洵に一快事に相違なけれども此種の操練は必ずしも今日早早急ぐに及ばず萬事落着して將に我兵を引揚げんとするの際、最後の名殘りとして擧行するも敢て遲からざることなれば我輩は爰に趣向を改め其軍勢を分ちて目下清兵の在陣せる牙山の邊にも進軍せしめんことを望む者なり今夫れ東學黨に對して我居留民を保護せんとするには之を京城一里の外に防ぐも保護なり之を十里百里の外に防ぐも亦同じく保護なるのみ否一里の外に於てするは十里の外に於てするの安全なるに如かざる可し顧ふに清兵が初めより京城に入らずして牙山に陣したる所以のものは其目的とする所、朝鮮政府の依頼に應じ東學黨を討平せんが爲めにして朝鮮在留の清國人を保護せんが爲めに非ざるを以ての故ならんと雖も假りに之を居留清國人保護の爲めなりとせんに其京城に遠き牙山を扼したるは保護法の妙なるものと云はざるを得ず然るに我兵は獨り京城に駐在して恰も清兵に百事を任するが如きは一見聊か慊からざる次第にこそあれ清兵は賊徒を退治するの目的を以て進軍す可し我兵は保護の線を廣くするが爲めに京城の外に出陣す可し扨て鎭定の上にて再び京城に入り始めて操練なり對抗運動なり充分の擧動するも晩からざることなり且つ又兵威を示すに就ても徒に韓土の俗人を驚かしむるは兒戲に似たり寧ろ清兵をして實視せしむるこそ本意なる可きに大兵を擁して恰も京城及び仁川を塞ぐに於ては清兵或は我兵を見るに及ばずして事平ぐや京城にも立寄らず匆匆暇を告げて歸國せんも知る可らず然るときは兩國の兵互に相勞ふの禮を致すことも叶はざる譯にして遺憾の限りなれば此際至急京城駐在の兵を分遣せんこと我輩の切に主張する所なり