「朝鮮問題の關係廣し」
このページについて
時事新報に掲載された「朝鮮問題の關係廣し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
朝鮮問題の關係廣し
朝鮮は東洋の獨立國にして日本を始めとし歐米の諸國とも對等の地位に在るものなれども其實際の國力微弱にして自から自家の獨立を維持するに足らざるは勿論單に國内の秩序安寧を保つことさへ覺束なき程の次第なり例へば彼の東學黨の如き元これ烏合の貧民にして大將と稱す可き人物もなく又武器兵粮の備もなく唯多勢を頼んで地方の官廳を襲撃し官吏を殺し財物を略奪するを以て事とする純然たる百姓一揆なるにも拘はらず彼の政府は數月の久しき之を鎭定すること能はず漸く増長せしめて遂に國家の安危にも屬する程の一大事と爲るに至りしこそ中央政權の微微たるを證するに足る可し前年或る朝鮮の一兵士が自國の振はざるを憤り動もすれば人に〓りて云ふやう日本の兵士二百名あれば直に京城に突進して政府を顛覆すること易し云云と固より一時の慷慨談に過ぎざれども彼の國現時の状勢に照して考ふれば強ち無稽の妄説に非ざるを發見す可し左れば朝鮮が今日まで恙なく獨立を維持したるは寧ろ偶然の僥倖にして今後如何なる事の成行よりいつ何時、全土を擧げて他國の有と爲るやも知る可らず其危きこと實に風前の燈火にして今日東洋の一隅に斯る弱國の存在するは恰も飢へたる犬の群中に一塊肉を投ずるに異ならず呑噬飽くことを知らざる世界の國國が稀有の誘惑に遇ふて安んぞ能く自から欲情を禁ずるを得んや幸にして今日までは各國互に他を退けて己れ獨り利益を專にせんとする其嫉妬心の爲めに却て弱國の安全を得たることなれども此安全は果して能く永續す可き否や頗る疑なき能はず方今この弱國を自家の所屬と爲さんとするに最も熱心なるは清國なり同國政府は古來これを目して中國の屬邦なりと稱し近年西洋諸國と交際を開きたる後も種種の口實を設けて曖昧の間に其獨立權を抹殺し去らんことを試みたれども明治九年日本政府は他に率先して修交條約を結び朝鮮國獨立の事實を世界に明にしたるより西洋文明の國國も相次で條約を締結し今は其自主權に一點の疑を容るるものなきに至れり然るに支那人の迷夢は尚ほ未だ醒覺せざるにや心竊に舊時の屬邦論を忘るること能はざる樣子なれば常に好機會の乘ず可きものを窺ひ時機到來次第直に隣國を亡ぼして積年の空論を實にせんとするの野心あるものと見做して間違ひなかる可し即ち今回の内亂に騷騷しく出兵したるが如きも彼等の胸算には好機會の到來と誤り認めたることならんのみ支那に次で朝鮮に志を抱く者は露西亞なる可し同國は人の知る如く世界第一の大國なれども其廣漠たる版圖の内に良港なきが爲めに軍事上商賣上甚だしき不便を感ずるを以て何處にもあれ海に接する領地を得んことに汲汲たるは今に始めぬことながら何分にも歐羅巴に於ては他の諸強國に遮られて其目的を達すること能はず又印度、亞非肝の近傍に領地を開かんとすれば英國の妨害に逢ふて是亦意の如くならず頗る困却の折■(てへん+「丙」)親しく自國と境を接する朝鮮を見れば其沿岸には天然の良港少からず加ふるに國の位置は支那日本に密接して交通往來最も便利なり之を得れば商賣に軍略に益する所少小ならざること明なれば露國が朝鮮の地方に垂涎するも亦怪しむに足らず唯その憚る所は英國のみ英國年來の政略は專ら露西亞をして海岸に出ることなからしむるの一事に在れば今若し露人が朝鮮に對して侵略的の方針を取ることもあらんには英政府はあらゆる力を盡して飽くまでも之に抵抗するに相違ある可らず或は時宜に依りては朝鮮を以て英の屬國若しくは保護國と爲すに至るやも計る可らずと雖も目下の形勢よりして想像すれば英國は自から手を下して朝鮮を取らんよりは寧ろ之をして支那の屬國たらしめ裡面より竊に支那を援けて露の侵略に當らしむるの策に出でんとする者の如し左れば朝鮮の問題を講ずるに眼中單に朝鮮の一國のみを見る可らず美人の柔弱なる固より與みし易しと雖も他に幾多の情夫ありて關係の利害を殊にせり此處は我日本國に於ても輕輕の擧動ある可らず目下の状况を詳にし將來の大勢を視察し辛勞敢て憚るに足らざるも其勞をして徒勞に屬せしむるなきの覺悟こそ最第一の肝要なれ唯一筋に他の獨立を維持するに汲汲して四面を顧みざるが如きあらんには圖らざる邊に意外の故障を生じて其目的を達する能はざるのみならず是れが爲め大に得らる可き利益を得ずして却て徒勞徒費の損失を蒙ることなきを期す可らず當局者の須らく注意す可き所なり