「支那人の心算齟齬せざるや否や」
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時事新報に掲載された「支那人の心算齟齬せざるや否や」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
支那人の心算齟齬せざるや否や
支那が朝鮮を屬邦視して啻に他國人に向て公言するのみならず苟も乘ず可きの機會あれば着着その内事に干渉して眞實附屬國たるの實を收めんとするの野心あるは年來の事實に徴して疑ふ可らず明治十五年の内亂には其國父たる大院君を捕えて之を本國に拘留し又十七年の變亂後は其當時、兵に將たりし袁世凱を京城に駐在せしめて之に無限の權力を與へ陰に陽に政治に干渉して内治外交の大事件は殆んど其成を仰かしめたるが如き以て其意の在る所を知るに足るべし今回東學黨の騷動に付き支那の出兵は朝鮮政府より請求したるよしに唱れども其實、袁の發意にして夫れとなく朝鮮政府の當局者を促して請求の手續を爲さしめたるは事實、疑なきが如し盖し袁の意中にては支那の兵力を以て其内亂を鎭定するときは朝鮮政府は之を徳として隨て支那の恩威はますます其國中に行はるるのみならず間接には一般の他國に對しても屬邦たるの實を示して他日の口實を造るの地歩とも為る可しとて之を本國政府の當局者に建策し當局者も亦これを妙策なりと信じ扨こそ出兵の决斷に及びたることならん單に支那の爲めに謀れば成程至極の妙策なりしならんなれども今の文明世界に斯る得手勝手の妙策は容易に行はる可きに非ず彼の出兵の結果は偶然にも我國の出兵を促して然かも其决斷の迅速にして實行の機敏なるは神兵天より降るの觀なきに非ず支那人等の思ひも寄らざる所にして驚愕啻ならず妙策ここに至りて妙を失し彼等の心算も定めて齟齬したることならん日本の出兵は自國の必要より决斷したるものにして敢て他國の事に關するに非ずと雖も從來の關係と云ふ目下の地位と云ひ一方に於て兵を出すときは他の出兵を促すは自然の結果にして明白の成行なるに彼等は胸中に無限の野心を蓄ふるにも拘はらず曾て此邊に思ひ至らざりしか自から得手勝手の事を行ひながら他の出兵を聞て今更ら狼狽とは只憫笑の外なきのみ彼が第一の心算は既に齟齬したり更に如何なる手段あるやと云ふに彼の政府は手を換へ品を換へて頻りに日本兵の撤去を要求しつつあるよし思ふに日本政府は彼の要求に對して必ず斷然たる决答を與へたることならんと雖も彼が今日の手段は百万、手を盡し何とかして日本兵を撤去せしむるの一事を勉むることならん即ち一方には例の虚喝手段を用ひ幾千の兵を發したり云云の用意に着手したりなど大に聲威を張りて脅嚇を試み一方には外國公使などに泣付て頻りに其周旋を求め外國人の助を假りて所望を達せんとの手段に出ることならんかなれども彼が虚喝手段は毎度の事にして之に欺かるるものはある可らず况んや之を以て日本男子に擬せんとするが如き實に淺墓なる手段にして只一笑に付す可きのみ又外國人中には或は支那の爲めに代言を試みるものもあらんかなれども日本の出兵は自國に必要に出でたるものなれば撤するも撤せざるも我が自由にして他人の容喙を許す可きに非ず假令ひ何國の人が來り求むることあるも我に於て駐兵の必要を認むる限りは無益の勞にこそあれ决して一兵も■(にすい+「咸」)ず可きに非ざれば彼等が折角の手段も水泡に歸して再び心算の齟齬を見ることならん重重氣の毒の次第にして茲に至りて彼等は果して如何なる手段に出づ可きや今日までの行掛りよりすれば最早や最後の决心を定むるの外なきことならんなれども他に對して事を求めんとするも正當の理由なきを如何せん、或は強ひて口實を造り無理に求むる所あらんとするも機先、既に人に在り萬が一にも勝算なきを如何せん然れども若しも自から其力を量らずして漫に端を開くにも至らんか隣國の事に干渉するが如きは姑く擱き自國の運命さへも覺束なきものある可し事、茲に至れば最初の心算は全く齟齬するのみか案外の結果を見ざるを得ず今度彼等の手段は果して何れに出づ可きや我輩の悠悠見物せんと欲する所なり