「土地は併呑す可らず国事は改革す可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「土地は併呑す可らず国事は改革す可し」を文字に起こしたものです。

  • 18940705 に掲載された論説「土地は併呑す可らず国事は改革す可し」(注1)
  • 段落については、原文では一段落のみですが、適宜分割しました。
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この論説に関し、平山氏がつぎのとおりコメントしています。

明治 27(1894)年 7 月 5 日掲載の本社説は、第二次世界大戦後に福沢直筆の原稿が発見されたことにより、現行版全集に所収されることになった。 『福沢全集』(1925 ~ 1926)、『続福沢全集』(1932 ~ 1933)には非収録である。旧全集の編者石河幹明は、この「日本は朝鮮を領有してはならない」という内容の社説の存在を、読者に知られたくなかったことになる。

本文

日本国人が兵力を以て朝鮮に臨むは前記の理由にして他意なしと雖も、我輩は尚ほ念の為めに土地占領の事に 就て一言せざるを得ず。

強弱の両国相対して苟も兵を動かすときは、其名義の如何に拘はらず、和戦勝敗の如何に論なく、種々無量の事情魂胆の末、弱者の地を割て張者の有に帰すること、恰も世界古今の通例にして掩ふ可らざるの事実なるが如し。 今、日韓相対すれば其強弱の数、既に明白にして、人間普通の眼を以て見るときは、今日こそ両国の交際至親なるが如くなれども、其交際の枝より枝を生じて随て種々無量の事情を醸し、又随て面白き名義を製作して、其極、遂に朝鮮国の土地を日本に併することはなかる可きやと、不言の間に人をして疑を懐かしむるは決して無理ならぬ次第なり。

世間或は既に此辺に注目する者もある可しと雖も、我輩の所見を以てすれば、日本国の政略に於ては万々此事ある可らずと断言して躊躇せざるものなり。 世界中日本国人に限りて無欲淡泊なるに非ず、又無気力痴鈍なるに非ず、都合能き国土を見出して占領す可きものあれば決して辞退する者に非ずと雖も、朝鮮の国土は之を併呑して事実に益なく、却て東洋全体の安寧を害するの恐あるが故に、故さらに会釈して之を取らざるのみ。 徳不徳の談は擱き、利害の上に訴へて併呑を断念する者なり。

其次第如何と云ふに、同国は日本、露西亜、支那、三国の間に介在する小弱国にして、三国共に窃に併呑の意なきに非ずと雖も、若しも其三国中の一国が之を併するか、又は之を三分して各その一分を領するときは、強国と弱国と直に境を接して其間に忽ち激動なきを得ず。 即ち東洋全体の安寧を害するものなり。 尚ほ其上に遠き西洋の諸強国とても、亜細亜の東辺に弱肉強食の活劇を見て之を黙々に附するものはなかる可し。 事態切迫すれば如何なる大波瀾を生ずるやも計る可らざるに、今その然らずして東辺の平穏を維持するは、朝鮮と名くる小弱国ありて其間に挟まり、国の如く、国ならざるが如く、綿の如く、紙の如くにして、双方の衝突激動を防ぐが故のみ。 瀬戸物を重ぬるにし必ず合紙を用ひ、或は個々綿に包んで積重ぬるは何ぞや。 実質の堅牢なる瀬戸物と瀬戸物と直に相触るるときは、些細の震動にも激して、其一片を破るか、或は両個共に破るることあるが故に、紙の柔かなるものをして其激動を防がしめんが篇めなり。 左れば今朝鮮国の軟弱なるこそ幸なれ、之を日露支三国の間に挟さんで相互の激動を防がしむるは国交際の上策にして、此点より見るときは東洋の太平は朝鮮国の賜なりと云ふも可なり。

数年前には我国にも隣国併呑の議論なきに非ざりしか共、人文の進歩と共に外交論も共に上達して、利害の所在を明にし、今日に至りては国中復た神功皇后、豊臣秀吉の旧夢を夢みる者なし。 是即ち我輩が今回の出兵に付き日本国人に土地併呑の意なきを保証する所以なり。

左れば朝鮮の軟弱なるは東洋の利益にして、諸強国の由て以て安全を保つ所の合紙なれども、然りと雖も其合紙の軟弱にも自から程度なきを得ず、苟も一国として土地人民を支配する上は、内治外交夫れ相応の規律を要することなるに、彼の現状を見れば立国の名ありて自立の実なく、政府の形を具へて施政の機関なく、専制の君主、政を専らにすること能はずして、輔佐の大臣、責任あるに非ず。 万般の政令、大臣の名を以て行はるるは政府の如くなれども、其源は宮中より発して、深宮の国王は却て之を知らざることあり。 王の特命、頓に発して大臣を進退するは、主権の盛なるが如くなれども、其王命は王妃と二、三の寵臣と密議して一夜の間に製造したるものなり。 財政次第に困窮して官吏の俸給に常の数なく、其登用に才を撰ぶに非ず、官を売て政費に充るが如きは、尋常一様の手段にして、今は売官法に次ぐに賄賂法を以てし、多く賄賂を用る者は高き官位を得るの風を成して、相互に其多寡を競争するは、恰も政府の地位を競売に附するものに異ならず。 小官は中官に依頼し、中官は大臣に附托し、其極に至れば大臣の地位を望み、叉は既得の地位を固くせんが為めに、国王王妃に私金を献納し、其献金の厚薄に従て上意の趣を異にし、収賄の最も盛なるは王室なりと云ふ。

宮中府中を腐敗の中心として余毒を全国に及ぼし、牧民の地方官は税権法権を濫用して民の膏血を絞り、先づ自から奉じて其余りを中央政府に輸し、国庫常に空ふして汚吏の懐中非常に温なるものあり。 都鄙に散在する幾千万の士大夫は紛れもなき社会の遊民にして、専横跋扈、常に他人の私有に衣食して憚る所なき其有様は、正しく幾千万の餓虎を国中に放つものに異ならず。

凡そ一国に政府を立る所以は国民の栄誉生命財産を保謹して安全ならしむる為めのものなるに、朝鮮国の政府は恰も其正反対にして、政府あるが故に却て安全ならずと云ふ。 国にして国に非ず、政府にして政府に非ざるなり。

左れば我輩は今日俄に彼等の文明富強を望むに非ず、万般の施設、都て漸進を期すと雖も、漸進にも急進にも国その国にして始めて談ず可き談なれば、兎に角其立国の根本を固くして政治の機関に運転の機を附せざる可らず。 之を愉へば衰弱死に瀕したる病人の如し。 何は兎もあれ、最第一の要は空気の呼吸と飲食の消化と、此二者の回復を得て然る後に様々の摂生法をも命ずべし。

是即ち我輩が彼の国事の改革に急なる所以なり。

脚注

(1)
『福澤諭吉全集 第 14 巻』(岩波書店、1961 年)pp. 436--439.