「郵船會社と孟買航路」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「郵船會社と孟買航路」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

從來英國彼阿會社の汽船によりて孟買より我國に輸入せられたる棉花の運賃は一噸に付き印度貨幣十七ルーピーの割合にして甚だ不廉なりしかば我紡績業者は屡屡同社に向て其引下を請求したれども更に應ぜず依て同業聯合會は日本郵船會社に向て孟買航路開始の相談を試み尚ほ同地のタヽ氏も此事に就て大に畫策する處ありしを以て郵船會社にても今は些々たる損得を顧るに遑あらず年來希望し居たる航路擴張の目的を實行せんが爲めに遂に昨年十一月より神戸孟買間に定期航海を始むるに至りたり當時同會社と紡績聯合會との間に取結びたる契約によれば一年間に五萬俵の綿花を限り一噸十三ルーピーの割合を以て運搬するの約束なりしが其後彼阿會社の競爭甚だしきにより遂に此契約を改め同盟紡績業者が孟買より輸入する棉花の全額を擧げて之を會社の汽船に依託することゝなり同時に一噸の運賃を十二ルーピーに引下げたり斯の如くにして我國紡績者は同航路開始後少なからざる利益を得たれども郵船會社にては其運賃の低廉なる上に棉花以外の積荷少なく彼是の事情よりして多少の損失を被りたるよし近來印度棉花の季節に臍し其輸入額の增加したると共に可なりの收得あるに至りたれども是れとて眞に航海の實費を償ふに足るまでの事にして船體の保存、修繕、保險積立等の費用を除けば相變らず幾許の損耗を免れずと云ふ營利業者たる同社の困難は兔も角も爲めに同航路を中絶するの止むを得ざる場合ともならば是れぞ我國航海權の消長にも關することにして即ち國家事業の最大急務に屬するものなれば同會社にしてイヨイヨ自から支ふる能はざるの實跡あるに於ては國家は進んで其任を分擔し手に手を取て飽までも目的を貫徹するこそ當然なれ蓋し彼の航路たる會社が若しも發企せざるときは國家に於て特に條件を付し催促もす可き要用ある所にして此催促あるに先だち會社は紡績業者等と相圖り私人同士にて斷然決心する所あり彼阿會社の脅嚇をも排斥して敢て難局に當りたるは其意氣誠に嘉す可き次第にして國家は宜しく人民の進歩に鑑み雙手を擧げて之を奬勵せざる可らざるは勿論現に天下何人も同航路の發企を以て美擧となさゞる者なければ今や前記の如く經營艱難にして社情永續を許さゞるの懸念あるに於ては此際決して袖手傍觀するの道理ある可らず況んや此航路の保護は間接に紡績業の保護ともなるものにして若しも廢絶するに於ては紡績業者も亦再び彼阿會社に虐せられ自然容易ならざる影響を被る可きに於てをや尋常一樣の民業にてすら事、公共の利害に關して保護の甲斐ありと認むるものは公力を以て之を助成するの常なるに孟買航路の如き斯る性質、斯る關係、斯る成行なるを知りながら漫然貌視するとは國家の本分に照らし不面目不都合の限りなれば我輩は單に孟買航路のみに限らず全體に我航海事業を奬勵する爲め大に國庫の補助を所望するものなれども其事は暫く之を來期の國會に讓るとして差向き同會社の爲め持久の方法を案ずるに抑も同航路の收支相償はざる所以は畢竟するに棉花運賃の低廉なると一般貨物の少額なるとに起因するものなり然るに棉花の運賃は雙方の間に契約もあることなれば今更之を變更し得べきにあらず主として一般貨物の增加を謀らざる可らざるに就ては彼我の貿易を盛にするの外、他に良策もなきが如し其方法一にして足らずと雖も我國商人の渡航を勸むるは最も手近なる方便にして例へば郵船會社は此際既定の乘船賃を廢し我國商人の孟買へ渡航するものに對しては特に食料其他の實費のみを支辨せしめ尚ほ試賣の爲めに携帶する商品の如きも一切無運賃にするか又は半減にする等特別の便利を與へたらんには今後渡航商人の增加すると共に彼我の情況を考へ能く其嗜好に適する輸出品を發見するに至る可きは必然にして現に同航路開始後我國の石炭を孟買に輸出して大に好評を博したるの實例さへあることなれば其他の貨物と雖も今後同地方の賣行くべきもの蓋し二三に止まらざるべし獨り輸出品のみならず輸入の如きも亦棉花の外に適當なる貨物あるべく輸出輸入相俟て其額少なからざる可きは我輩の信じて疑はざる處なり斯の如くにして郵船會社の汽船は常に貨物を滿載し安んじて同航路を往復することもならば航路新開の功は全く會社の終始占有する所となり他年歐米に航路を擴張するの日に當ても陰德必らず陽報ありて永く爭ふ者なかる可し今一般の奮發を望む者なり