「支那人民」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「支那人民」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那人民

世界文明の風潮は甚だ急激にして支那四百餘州の天地も早晩その侵入を免る可らず其時こ

そは今の滿清政府が滅亡を告ぐるの期にして其時期は支那人自身にて促すか又は他國人に

促さるゝか豫め知る可らずと雖も彼の支那人は幾千百年來周公孔子の陳腐主義を遺傳し陰

陽五行の妄説に惑溺して絶えて改進々歩の思想なく多年文明日新の空氣に觸れざるに非ず

と雖も自から新にすること能はざるものなれば如何なる風潮に際會するも到底自身にて起

つの精神はある可らず彼の天地に充滿する腐敗の雲霧を一掃して文明の日光を仰がしむる

は何れ他國人の力を要するならんとは我輩の前號に述べたる處にして其時機の到來も甚だ

遠からざる可し扨いよいよ其曉に至りて彼の四億の人民は如何す可きやと云ふに今の支那

帝國こそ根底より顛覆して全く跡を留めざるに至ることならんなれども人民は國と共に滅

す可きに非ず其帝國の存亡如何に拘はらず永く世界に生存することなる可し彼等は政治上

には無氣無力にして愛國心に乏しく銘々の利害を犠牲に供しても國の名譽を維持して獨立

の體面を全ふせんとするが如き觀念は殆んど絶無とも云ふ可きなれども商賣に頴敏にして

金錢を重んずるの氣風は彼等の特性にして此點に就ては一概に輕蔑す可らざるものあるが

如し抑も人生の目的は心身の快樂を得るに在り而して其快樂を得ると得ざるとは金錢の有

無に存することなれば或は之を略言して金錢即ち快樂なりと云ふも可なり彼の支那人は錢

を貴ぶこと非常にして或は商賣に危險そ冐して身命を惜まず或は外國に出稼して種々の艱

苦を意とせざるが如き何れも錢を得るが爲めに外ならずして其商賣出稼の間には殆んど人

間に堪へざる程の苦痛を忍んで甚だ憐む可き生活を爲せども多年の辛防その效空しからず

錢を積んで家に歸るときは衣食住を美にして肉體の快樂を極め安樂に生活するの常にして

一般の氣風かくの如くなるが故に彼國には富豪素封の家、割合に多くして若しも一個人の

富を云ふときは文明諸國に比して毫も遜色なしと云へり此一點より見れば彼等も亦决して

輕蔑す可きの人民に非ざるが如くなれども又一方より考ふるときは大に然らざるものあり

既に金錢に富み衣食住を美にして安樂に生活すれば人生の快樂に欠くる所なきに似たれど

も今の世界は文明開化と稱しながら其實は未だ萬國一家四海兄弟の時代に非ず若しも自國

の國土を失ふときは其人民は恰も世界の無宿者同様にして甚だ肩身の狹き感なきを得ず或

る一國の人民が他國の人民と相對して相讓らざるは其本國に兵隊もあり軍艦もありて自か

ら頼む所あるが爲めのみ然るに其國既に滅亡して兵隊軍艦は云ふまでもなく立國政府の名

義さへ消滅して全く其身其儘なるときは如何なる輕蔑を受くるも之に報ゆるの道なく誠に

心淋しき次第なり例へば彼の猶太人の如き世界到る處に散在して人口も少なからず殊に其

人種に限り一種の特性を有して商賣に巧に貨殖に長じ猶太人と云へば吝嗇家の異名なるが

如くにして實際に金滿家も少なからざれども何故か一般に輕蔑せられて殆んど人間に齒せ

られざるは其性質自から人をして嫌はしむるの點もあることならんと雖も重なる原因は彼

等が世界の無宿者にして自ら賴む所のものなきが爲めに外ならず若しも彼等にして假令ひ

小國なりとも猶太國と名くる國を立てゝ其政府の下に居らんには决して今日の如き待遇は

受けざることならん支那人も之と同樣にして其帝國にして一旦滅亡に至れば亡國の民とし

て世界の輕蔑は免る可らず既に他に輕蔑せられて共に齒せられざるときは一身の生活は安

樂にして肉體の快樂には不足なしとするも精神上には甚だ不愉快にして之を稱して快樂の

圓滿なるものとは云ふ可らず人生の目的は果して心身の快樂を得るに外ならずして文明開

化に進むに隨ていよいよ其快樂の多きものとすれば亡國の民の如く他の輕蔑を蒙りて常に

精神上の愉快を欠くものは今の世界に於ては到底文明人と並び立つを得ずして憐む可き境

界に沈淪せざるを得ず支那人にして今日までの如く家あるを知て國あるを知らず只一身の

快樂を目的として一國自立の觀念なきに於ては遂に第二の猶太人たるを免れずして世界の

無宿者として永く一般に輕蔑せらるゝの外なかる可し我輩は滿清の政府と共に其人民を見

限るものに非ず今より注意して亡國の民たるに至らざらんこと敢て勸告する所なり