「日本人の天職」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「日本人の天職」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本人の天職

文祿の昔、豐太閤の路を朝鮮に借て明國を征せんとするや或は漢文を善くする者を伴ふ可

しとの説を提出したるに豐公は一笑して此行、彼の四百餘州をして我文を用ひしむ可きの

み何ぞ漢文を善くするものを伴ふの必要あらんやとて之を排斥したりと云ふ盖し豐公の我

文を用ひしむ可し云々とは四百餘州を征服し我が言語風俗を彼に輸入して其人民を化して

純然たる日本人たらしめんとするの意味なる可し今回清國との戰爭は堂々たる文明の師に

して其國土を併呑し其人民を服從せしむるが如き敢て期する所に非ず世界文明の風潮を四

百餘州の全土に及ぼし彼の四億の人民をして文明の德澤に浴せしめんとするものなれば豐

公が彼の人民を日本化せしめんとするに比すれば名正しく事順にして其任ずる所、甚だ大

なりと云ふ可し而して豐公の時代に在りては我兵素より勇武なりと雖も兵器軍略の點に於

ては彼我相對して格別の相違を見ず双方共に刀剣弓槍の類を用ひ夜討朝駈の一騎打にて相

戰ひたることなれども今の日本の軍隊は全く文明流の組織にして文明の兵器を利用する其

反對に彼には假令ひ其器あるも之を利用するの法を知らずして其不紀律無勢力、當時の明

軍に比して一歩を進めざるは近來の事實に徴するも明白にして三百年前の腐敗軍を以て文

明日新の精鋭兵に對す其勝敗利鈍は識者を待たずして知る可きのみ我が開戰の趣旨は公明

正大、世界に公言して毫も憚る所なき其上に日本人の忠勇武烈、訓練の熟磨、兵器の精鋭

向ふ所、前なくして速に最後の目的を達するは我輩の確信して疑はざる所なり

抑も文明日新の風潮は殆んど全世界を壓倒して我日本の如きは既に四十年前より其風潮を

蒙りて國内の一切の組織を變化し改進々歩の途に上りたるに彼の支那帝國は日新の風潮中

に立ちながら今日に至るまで毫も面目を改めず盖し内に自から進歩の素養あるものは一た

び外の風潮に接するときは之に移ることも甚だ容易にして即ち我國が米國人に開國を促さ

れて忽ち改進の方針を取り着々進歩の實を呈したるは其素質の然らしめたる所なれども彼

の支那人に至りては西洋の文明國と交通を始じめたるは我國よりも古きのみならず阿片の

騒動に付き廣東の砲撃と云ひ英佛聯合の北京侵略と云ひ又前年福州の失敗と云ひ文明の勢

力に敵對してば屡ば懲らしめられたるにも拘はらず尚ほ頑として動かざるを見れば彼等の

腦髓は殆んど化石も同樣にして尋常一樣の手段にては刺撃を感ぜしむること到底難きを知

る可し彼の國人が頑陋自から悟らざるは只自國の蒙昧を表するのみにして事に妨なき如く

なれども近年來世界の大勢はますます急激にして彼の古帝國の醜態を長く今日の儘に付す

るを許さず早晩文明國人の手を假りて改革の端を開くは必至の勢なりとして扨その事に任

ずるものは何れの國人なりやと云ふに目下西洋諸國の形勢は恰も軍事的平和とも云ふ可き

有樣にして各國共に非常の兵力を養ひ非常の國力を費し互に相睥睨して他の隙を窺ふ其間

に僅に一日の平和を偸むの姿なるが故に東洋との關係の如きも成る可く平穩を旨として無

事を謀り彼の英佛の兩國人が同盟して北京を陥れ支那人の頑冥を懲らしたるが如き壯擧は

容易に望む可きに非ず即ち支那の古帝國が今の文明世界に立ちながら尚ほ其殘喘を保ち固

陋自から安んずることを得る所以なれども文明開化は今日既に西洋國人の特有に非ず四十

年来幾多の辛苦を甞め幾多の實驗を閲して東洋自から文明の強國を現出し其餘光は此隣の

蒙昧國を照らして長く其醜態に安んずるを許さず今回日本が朝鮮に德義上の忠告を與へ其

國事の改革を促すに當りて支那人が種々の反對を試み文明の事を妨げんとしたるこそ彼等

の最後なれ盖し彼等は自から力を量らずして一時の出來心より斯る所行を働きたることな

らんなれども世界の大勢より觀察するときは今度の事たるや偶然にも日本人の手を假り文

明日新の新鮮氣を彼の四百餘州に及ぼさしむるの好機會を與へたるものにして日本人は恰

も支那人を懲らしめて幾千百年來の蒙昧を啓くの天職を授けられ正に天命に從て運動する

ものなれば他に憚る所なくして飽までも其職分を盡すの覺悟肝要なる可し或は今回日本人

の力を以て一大打撃を與ふるときは彼の人民は始めて目を覺まして文明日新の光を拜する

と同時に四百餘州の版圖は四分五裂して支那古帝國滅亡の端を開くに至るやも知る可らず

と雖も其説は姑く後に讓り苟も日本人たるものは其天職の重大なることを心に體し飽まで

も勇往敢収して東洋文明の先進者たる實を盡し世界に對して大名譽の地位を占むるは勿論、

日本國中に於ても今日以後は豐太閤の偉業を説くものなきに至らしめんこと我輩の敢て希

望する所なり