「清國當局者の感如何」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「清國當局者の感如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

清國當局者の感如何

此回の日清事件たる彼より事を釀して又彼より戰を挑みたるは讀者と共に事實に於て明に

認むる通りなり清國從來の政略に徴するに容易に斯る果斷の擧動に出づ可しとは思はれず

然るに其出づ可らざるに出でたるは一見頗る怪む可きが如くなれども自から種々の原因あ

ることにして就中その大原因と視做す可きは李鴻章が我日本の國情を見損じたるの一事な

り葢し李の意に以爲らく日本は頻りに文明開化を輸入して果は立憲政治までも採用すると

の事なれども恐らくは急進たまたま蹉跌を招くに終る可きか、其形况を視察するの要こそ

あれとて公使領事にも所存を申含めたるならん或は特に視察員を派遣したることもあらん

其着眼は偏に此點に注ぎたりしに果せる哉報告者の眼中に映ずる所は事々物々都て喫驚の

種ならざるはなく日本の政界は所謂處士橫議政府また威信なきの光景にして殊に國用の如

き百國(?)の微と雖も議會の認諾を得ざれば支出すること能はざるのみか政府と議會と

毎〓衝突して秩序全く紊れ甚だしきは天皇を除くの外大臣高官と雖も遠慮會釋なく面斥し

て更に假借する所なし又民間に於ても朋黨此周互に相軋轢して議員撰擧の際の如きは混亂

紛擾言はん方なく正に是れ人心離散四分五裂して上下沸騰唯内訌に疲れ復た爲すあるに足

らざるの觀を呈せしより扨こそ案に違はずとて報告者は例の文筆を走らし續々先を爭ふて

大袈裟に注進せしことならん否な正しく李の手許に此種の報告の荐りに臻りたるは相違も

なき事實なりといふ彼の周公孔子の夢を夢みて因循姑息を是れ事とする支那人の腦髓には

斯る事情を見聞して日本は最早衰滅に近づきたりと認定するも無理ならぬ次第なれば李も

イツしか烟に捲かれて日本與し易しと想像せしことならん加ふるに朝鮮に於ては袁郎小策

を運らして頻りに李の對韓政略を慫慂したる趣なれば彼是れ思ひ合はせて遂に此回の事件

を釀したるは瀝々として推知するに餘りあるが如し想ふに我政界の情况たる今若し之を支

那に移して演ずるものとせば果して李の想像の如く自から倒るゝの外なきや疑ある可らず

自國の四分五裂を以て他の四分五裂を推せば定めて累卵の危きを見るが如くなる可けれど

も是れぞ即ち李の誤解を生じたる所以にして我日本人は如何なる政爭をなせばとて之が爲

め聊かも愛國心を傷くる者にあらず支那人の忠義の聲を高くして其聲の高き程に其状の薄

き者とは天淵月鼈も啻ならず世界萬國中恐くは日本人ほど愛國心に富むはなく又支那人ほ

ど愛國心に乏しきはなかる可し現に今の四百餘州は二百年前外國に奪はれて其奪はれたる

者と奪ふたる者と雜居する處にして其國民は何を目的にして國を愛す可きや若しも漢人等

が國を愛すと云へば自家に侵入したる盗賊の爲めに其盗品を保護するに異ならず先づ以て

人間世界にあるまじきことなり之を開闢以來金甌無缺曾て外人に汚されたることなき我大

日本國に比較して到底同年の論に非ざる尚ほ其上に日本人の文明を採用するや毎事出藍の

伎倆ありて政治に於ても决して疎ならず立憲政と黨爭との關係の如きは黄吻の書生も亦能

く其旨味を解して既に粹の粹なるものなれば紛々擾々も尋常一樣たるに過ぎず之が爲め國

家の大計を誤らん抔どは日本人に絶無の沙汰にして支那人に向て始めて之を言ふ可きのみ

憐む可し李も亦誠に支那人たるを免れざるが故に此邊の消息を解せずして漫に袁世凱をし

て朝鮮を攪攘せしめ而して自から開戰論を主張して以て今日を招致したるは老爺一代の不

覺と云ふ可し即ち彼の心算は着々事實と齟齬し日本にては朝鮮事ありと云ふや否や現に國

會解散とまでに張詰めたる政爭も忽焉聲を収めて却て義勇兵募集、軍資金據出の聲となり

將に來らんとする總撰擧の期日も殆んど忘れたるが如くにして甲黨乙派を問はず商賣農夫

の別なく老若男女全國四千萬の人心は期せずして恰も一團の如く報國の赤誠は五畿八道

津々浦々に充滿して氣既に滿清四百餘州を呑めり況んや平生訓練を積みたる軍隊に在ては

咄嗟に出師の準備を整へ豐嶋に牙山に戰へば必ず勝つの實あり殊に彼の最も蔑視したる軍

費の如き如何なる情况を呈しつゝあるや我政府の既に公債募集令を發したるを見て無智の

清人或は國庫の欠乏と視做すもあらん歟なれども非常の際に公債を募るは財政の整頓せる

國家の常例にして扨その募集額は差向き三千萬圓額面百圓のものは最低額百圓と定めて五

朱の利息を付する筈なり然るに經濟市塲の實際を見れば同じく五朱利付の整理公債證書は

次第に其價格を減じて額面百圓のものも九十何圓に下落し公債の市况甚だ不味なるの今日

にも拘はらず今度の公債は軍事公債なりとの故を以て百圓のものは正しく最低百圓の標準

に從ひ八方より之に應ずる者雲の如く集り募集金額に超過せんこと將に不日にあらんとす

今後も必要次第五千萬にても六千萬にても多々ますます之を辨ずる易々たるのみ經濟の事

情かくの如くなれば國會とても一議に及ばず承諾を與へんこと明白にして政黨間の内議を

聞くに一億圓も敢て辭せずといふ百圓金の支出を拒むの塲合もあるものが一朝一億圓も供

給して喜び勇むの義烈心ありとは支那人の想像に及ばざることならん其他國民の私財を抛

ちて軍師に供するもの日々應接に遑あらざる程にして此民心は國會をして一億圓を二億圓

となすにも足る可し聞く所によれば李も心算全く齟齬したるを悔ひ遣る方なくして怒を他

に洩し袁世凱を遇するにも復た昔日の如くならずといふ此上我軍事公債募集の景况を耳に

したらばイヨイヨ驚愕落膽して窃に日本人心の意想外なるを羨み自國人民の腐敗を顧みて

中脊輾転眠就らざることならん我輩の氣の毒に思ふ所なり