「 從來の對外思想を一掃すべし 」
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時事新報に掲載された「 從來の對外思想を一掃すべし 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
從來の對外思想を一掃すべし
現行の條約は所謂片務の精神に成りて全章數十條皆外國の權利を定めたるものにあらざるはなく我國は之に依りて種々の義務を課せられたるも毫末の權利を得たることなきは甚だ遺憾の至なれども締結の當時に遡りて其事情を考ふるに外交の當局者は開國の要求と鎖國の國論との間に夾まれ要求を容れんと欲するも國論は之を許さず左ればとて國論に從はんか外國の威迫を奈何せん進退維谷まりて國家百歳の長計抔には思ひも寄らず辛くも一條の血路を開て一日の安穩を偸まんが爲めに成るべく國論に逆はざるやう彼の要求に應じたることゆゑ我より全く求むる所なき代りに彼にも亦多を與へざらんことを勉るのみにして時勢の變遷、交際通商の進歩如何の如きは曾て注意の及ばざりし所なれば其取結びたる條約の不完全なるも亦深く怪むに足らざるなり然るに我開國進取の國是は確乎動かす可らずして隨て諸開港塲に貿易商賣の次第に盛大を致すのみならず我國人の自から進んで外國に渡航し居留し商賣し勞働する者いよいよ多きに及びたる今日に於ても條約は依然として舊の如く外國の地に於て我國人の利益を保護するの約束なきこそ不都合なれ例へば彼の國々の政府にて特に我國産物に重税を賦課するも又我居留出稼人を放逐するも一に彼の方寸に存して我利害得失の岐るゝ所は彼の一顰一笑に在りと云ふも可なり幸に今日まで左したる不利益を蒙ることもなかりしは我權利には非ずして寧ろ彼の恩惠に出でたるものと云ふの外なし例へば條約面に於て我國と同一の地位に在る清國人が其蒙昧愚鈍にして他國の文明を害したるの罪とは云へ蔑如虐待を蒙り遂に米國の居留を禁せられたるが如き權利の與奪は全く米政府の手中に存して支那人は唯その成を仰くものと云ふ可し日本國人は自から支那人に異なりと雖も人種より云へば等しく蒙古人種の名は免かれざるが故に米國の國會議員が一議案を提出し日本人を其國内に入れずと論じて議塲を通過すれば我國人の米國内に於ける運命は最早や夫れまでなりと覺悟せざるを得ず然るに今條約の根本を双方對等の主義に取り彼我兩國の人民が相互に兩國の地に入り相互に厚薄する所なしと定まるときは主客の權利正しく同一樣にして主人が自國に居て外來の客に厚ふするは自から外國に客と爲りて厚遇せらるゝの方便と爲り其状恰も物品を交易して其價を等ふするものに異ならず對等條約の意味分明に了解す可し左れば現行條約の存する時代に我外交論者が動もすれば居留外國人の權利を縮少せんことを力め或は條約厲行と云ひ或は非内地雜居と云ひ一歩にても彼等の自由を制限するは即ち我國權の伸張なりと思ひ甚だしきは攘夷論の復活を見んとするにも至りしは畢竟その條約の精神片務にして我國内に外人の權利を保護すればとて我國人が彼の國に於て果して相當の報酬を得べきや否や其約束甚だ不分明なると又一方には彼の外交論者が今日尚ほ末だ鎖國蟄居の根性を脱すること能はずして商賣にも交際にも遠く外國に雄飛するの大志なく隨て在外の時の自由不自由に思ひ至らざりしと此二樣の原因よりして扨こそ窮窟千萬なる説を唱へたることならん無理ならぬことなれども今や我外交の情勢は一變して今回新に締結せられたる日英條約は旅行居住商賣の自由より裁判警察の取扱等に至るまで彼我同等の地位に立ち其大精神は相互の利益を保護増長するに在り之を彼の片務なる舊條約に從ひ彼に向て全く求むる所なくして唯與ふる所少なからんとせしものに比すれば雲泥の差あるのみならず其基礎全く異なるが故に苟も開國進取の國是を實にして進んで海外に我國民の權利を伸さんとする者は舊時の鎖國根性を一掃して大に外交の門を開き日本國の眞の利害榮辱に訴へて其許す限りは外來の客を優待して交際上にも商賣上にも都て其運動を自由ならしむるこそ智者の事なれ如何となれば彼れに與ふるは即ち我れに取るの道なればなり之を喩へば舊條約は守戰にして新條約は攻戰の如し守る者は唯内に味方の死傷なからんことを謀るのみにして外に之を保護するの道なしと雖も攻戰たる新條約は進んで外に我權利を伸さんとするものなり左れば戰爭に於て守勢より攻勢に移るに際し軍略を一變するの必要ありとすれば新條約に對するにも國民の思想を革新するの必要あるべきは言を俟たずして明なり區々たる從來の行掛に拘泥し思想革新の時機到來したるにも心付ずして依然舊時の空論を論ずるが如きは開國進取の眞意を解せざる者にして共に外交の事を語るに足らざるなり目下英國を除き諸外國との條約は未だ改正に至らざれども其吉報に接するは盖し遠きにあらざる可し且その改正の目も日英の條約を摸範にするは必然の勢にして疑なき所なれば各國の條約改正共に既に成りしものと心得今日より之に對するの用意肝要なるべし