「大元帥陛下の御進發」
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時事新報に掲載された「大元帥陛下の御進發」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
大元帥陛下の御進發
今回大本營を廣嶋に進められ天皇陛下には本日を以て御進發あらせらる可しと云ふ抑も東京は帝國の中央首府にして内外に關する通信往復の仕組一として備はらざるなく恰も前進の神經脈絡を一括して之を支配する最要部の地位を占むるが故に今日までの如く宮中の大本營より親しく命令を發せられて在外の軍隊を御統轄あらせらるゝも事實に於ては決して差支えある可らずと我輩の敢て信ずる所なれども然れども右等の便利あるにも拘はらず大本營を進められたるは如何なる次第なりやと云ふに平壤攻撃の期もいよいよ迫り我軍が敵の國境に侵入する機會次第に近つきたるに就ては大元帥陛下にも御親征として特に大旆を進められたるものに外ならざる可し今回の戰爭に我陸海軍人の奮發は非常にして熱心焼くが如くなる其最中に陛下の御親征と聞きたらば其雀躍奮起の情は果して如何なる可きや大元帥にして既に斯くの如し吾々は飽までも勇進敢往一死以て國に酬ゆ可きのみとて全軍の勇氣、日頃に百倍し陸上に海面に敵軍を撃破して彼を降伏せしめ平和を永遠に回復するの目的を達せんこと我輩の今より期する所なり而して其御進發は敵國御親征の爲めとあれば戰爭の模樣次第更に大本營を進めらるゝことあるも苟も事の終局に至らざる其間は秋去り春來るも容易に還御の仰出はなきことならん廣嶋は中國に於ける都會の地なれども從來離宮の設もなきに付き兵營の中に行在所を定められたるよし宮中の御居住に較ぶれば其御不便御不自由は察し奉りて悉多き次第なり戰爭の爲め斯く迄に玉體を勞せられて在外の軍人と疾苦を共にせらるゝとあれば帝國臣民の身として自から安んず可きに非ず軍人の感激は申す迄もなく假令ひ軍籍外の者と雖も其精神は戰塲に在ると同義にして上下貴賤を論ぜず婦人小兒に至るまでも各々應分の力を盡さんことを願はざる者なし一國の和熟一家の如しとは正に今日の有樣なる可し就て我輩の記臆を喚起したる一事は外ならず明治十年西南戰爭のとき陛下には西京に蹕を駐められ扈從の大臣參議等も少なからざりしが當時の有樣は人心恟々政府を敵視するもの多く或は大臣等の旅宿を襲はんとの陰謀を企つるものさへありて危險一方ならざりしと云ふ然るに今回は全く反對にして假令ひ大臣等が一人の護衛もなくして旅宿に起臥するも之を窺はんとするが如き者は求めてもある可らず甚だ安心なる其次第は畢竟國中一般に憤を共にして敵に當らんとするが爲めにして國家安危の大事件、自から人心を一致せしめたるの實を見る可し我輩は茲に謹んで本日の御進發を送り奉るに臨み陛下の威靈と臣民の忠勇とに依りて必ず日本帝國の大勝利を斷言するものなり