「文明の要素」
このページについて
時事新報に掲載された「文明の要素」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
文明の要素
社會の文明に進むは人類に進む可きの要素あるを以てなり此要素を發達せしむるは教育の力にして英語のEducation もto lead forth(誘出する)の意味なりと訓せり例へば草木とても青々たる蔬菜、亭々たる喬樹みな是れ一小種子を培養したるの結果にして其發育す可き要素を養成するに外ならずと雖も種子にも亦良不良の別ありて良きものは速に成長し不良のものは大に灌漑の手數を要して而も其成蹟の却て美事ならざること多し即ち其良不良とは要素の厚薄多少と云ふ事にして草木の生長に至大の關係あるを知る可し人類も亦此の如し本來は進歩的の動物に相違なけれども其要素は自ら厚薄多少の差なきを得ず數代文盲にして打續きたる馬子の子孫と數代名家と聞えたる碩學の子孫と學問修業の上に於て優劣孰れに歸す可きやと云ふに特別の原〓あるに非ざるよりは碩學の子孫は遙に數等を超ゆるに反して馬子の子孫は百方盡力これを教へても動もすれば其甲斐なきを恨むこと多し爭ふ可らざる人間遺傳の法則にして同じく文明開化に進む可き者にても唯要素の厚薄多少によりて其結果に著るしき相違を來たすものたるを見る可し今や文明の好時節に際し隣國朝鮮にても舊弊を改革せんとして漸く事に從ふ樣なれども其實行捗々しからず人をして殆ど絶望せしむるが如き其原因は盖し何くに在りやと尋ぬるに畢竟文明に進む可き要素なきには非ざれども其極めて薄きが故と認めざるを得ず今を距ること遠からざる以前に於て我日本國は容易に舊弊を脱して容易に文明を入れ長足の進歩忽ち歐洲先進國と並馳して時としては出藍の事實さへ目前に實視したることなれば朝鮮の改革に就ても人或は輕々事を速断し人間萬事都て此の如きのみと了解したるもあらんなれども日本を以て朝鮮を推すは猶ほ馬子の子孫と碩學の子孫とを混じ要素の厚薄、遺傳の法則をも顧みざる無法の談にして若しも斯る想像を抱きて彼國の改革を思ふ者あらば以ての外の誤なる可し否な、現に此誤に坐しつゝあるに非ざるかと我輩の窃に懸念に堪へざる所なり抑も日本文明の發達偶然に似て決して偶然ならざる次第は我輩の屡々述べたる所にして前野蘭化先生が始めて洋學を講じたるさへ既に一百二十餘年前にあり爾來幾多の障害困難ありしにも拘はらず文明實學の主義は次第に國内に瀰蔓して社會の原動力たる可き重要部分にては滿腹の經綸を新主義の新空氣中に釀して恰も時機の到來を待つの折柄、嘉永安政の導火を得るに及んで輙ち勃然興起遂に今日の隆運を開きたることにして滿を彎きたる箭を放つが如く一聲の弦鳴と共に鐵石をも碎破したるは既に既に充分の彈力を蓄へたればなり蓋し蘭化先生以來斯く迄に潜勢力を養ひ得たる其また遠因もある可く詰り全國民の馬子の子孫ならざりしは彼の武家の廢刀、男子斬髪の一事を以ても見る可し支那人の豚尾の如きは命に從はざれば惨刑に處せらるゝが故に止むを得ず舊來の衣冠を改めたることなれども我國に於ては何等の罰則を設くるにも及ばず見る間に邊陬の村民までも結髪を止むるに躊躇せず武士の魂と稱したる双刀も一令の下に之を棄ること敝履より輕し實に不思議の感なきを得ず然るに飜て朝鮮人民を見れば陋乎たる古風の堅く凝結したるものにして天より與へられたる進歩的要素の幽に潜伏するの外更に遺傳の記す可きなく明治十七年に於ける彼國改革の有志者とても詳に探究すれば指を屈す可き者僅に二三人に過ぎざるのみ他は相も替らざる頑冥腐儒の徒にして俄に日本の經歴に擬せん抔とは思ひも寄らざる所にこそあれ若し果して日本と同樣の成蹟を得るものならば既往に於ても亦日本と同樣蘭化先生も出でざる可らず洋學者の辛苦も嘗めざる可らず英佛米露の交通も少なからざることなるに今に至るまで曾て之に就て其長を採りて自から改めんと心懸けたる者なしとは彼等の進歩力推して知る可し現に日本は平壤に黄海に海陸の大戰爭をなして文明の威力を目撃せしめ併せて支那の羈絆を除いて改革の途に横はれる障害を一掃したれども毫も之が爲めに感覺を惹起さゞるものゝ如く諮詛逡巡して進む所を知らず沙汰の限りと云ふ可し既に道を開きても歩むことを知らずとありては此上は手を取て引くの外ある可らず即ち教育なるものは人間固有の天性を誘出するの主意にして頗る穩和の手段なれども其手段の叶はざるときは所謂強迫教育の方法に從ひ斷乎たる處分を施すの外なし元來強迫教育とは社會の下流なる愚昧の徒に應用するものにして好んで行ふ所に非ざるは勿論なれども朝鮮人民の到底上流を以て遇す可らざる上は是亦當然の措置として天下に憚る所なかる可きなり