「外債募集の風説」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「外債募集の風説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

外債募集の風説

頃者道路の説に大藏大臣は軍備補充の爲め外債募集に意あり將に其議案を臨時議會に提出せんとすと、此風説の信偽は我輩の保證する所に非らずと雖も東京大坂等の株式市塲に於て特に有力なる人々は頻りに外債の利益を主張するとの噂は盖し事實なるが如し我輩は外債募集説を聞て今更驚く者にあらず亦敢て之れを排斥する者にもあらず事宜に由り或は大に之れを賛助する事もある可けれども我經濟社會の現状を思ひ又西洋諸國の市塲に鑑み今日外債を募集するは策の得たるものにあらずと信ずるなり世には外資輸入を蛇蝎視し外債募集と聞ては事の利害を究めずして唯一筋に反對する者なきに非ざれども我輩は此種の論者を友として共に反對を唱ふる者に非ざるなり

今試に外債論者の趣旨とする所を想像すれば大約左の二項に過ぎざる可し

一、遠征の師ますます其歩を進むるに從ひ硬貨の需用はますます多きを加るに方り兌換制度の基礎を破るに非ずんば内地に於て之れを供給するの途なし

二、我國の金融は已に逼迫を告るの今日更に軍費を内地に仰がば不測の恐慌を免る能はざる可し故に低利なる外資を輸入して軍費を供給し以て金融を疎通するは今日の必要なり

以上の二項中前者は財政上より生じたる論旨にして後者は金融上より來りたる意見なり而して一は執政者の腦裏に浮び易く他は投機者流の間に發し易き議論と知る可し凡そ財政上の意見は國家的觀念より發生し金融上の意見は利慾の精神より轉化するの傾きあるに今この兩者が偶然相投じて外債募集論となりたるは頗る不可思議の現象と云ふ可し我輩は此二論旨の當否を究るに先だち假りに外債を以て策の得たる者となしいよいよ募集の段となりて之を何地に求むるかを問はゞ必ず先づ金利の最も低き倫敦に於てする事ならん然るに倫敦の市塲は果して滿足の結果を吾人に與ふ可きや否や疑なき能はず明治五年我政府が七歩利の外債を起すに方り彼れは僅に九十二磅半の拂込を以て之に應じ而も募集費をも徴求したり今日の日本は明治五年の日本にあらず爾來百般の事物都て長足の進歩を成し今や泰西諸國と肩を比べて敢て耻ぢざるの地歩に立つ者なれども是れは唯我々日本國人と彼國に稀有なる識者の解し得る所にして英國人の多數は我國文明の程度を知らざるのみか中には我國を以て支那の屬國なりと信ずる無識者流さへある其人々より新に國債を募るは頗る難事にして吾々の望む如く低利に甘んずる者は少なかる可し或は我海陸軍連捷の報、夙に英國に傳はりし上は彼國人も昔日の感情を一變して我を敬重すべしとの説もあらんなれども是も容易に信ず可らず俗に云ふ石橋鐵槌なる英國人民が一二の捷報に接したりとて何とて其守る所を更む可きや我兵愈々北京を陷れ名譽ある結局を告るの日に非ずんば到底英國人の感情を一新す可らざるなり斯る事情の下に於て外債を募るも恐らくは四歩以上の利息を拂ふて僅に百磅以下の應募者を得るに過ぎざる可しと我輩の敢て想像して憚らざる所のものあり(英國人が額面の拂込に應せざるは從來の經歴に徴して明なり)之れに加るに銀に對する金價の騰貴は依然として存在し何人と雖も得て將來を語る者なきの今日金貨國に向て國債を起すは危險の甚しきものと云はざるを得ず恰も投機に類する事なれば苟も他に方便のあらん限りは勉めて之を避るこそ國家の謀なれ冒險は唯危急存亡に迫りたる時の事なりと知る可し

以上は唯外債募集の必要を假定して其實際に困難あるを陳べたるのみ又顧みて我國の現状を見るに今日尚ほ未だ其急なきものゝ如し兌換制度を危くするに非ざれば軍費を給すること能はずとは論者の主として關心する所なれども目下金銀の準備は次第に減少の勢あるにもせよ尚ほ七千七百萬圓を存し其内二千二百萬圓の金を時價に換算すれば實に八千六百萬圓の額に上る可し即ち兌換券發行總額の六分三厘に相當するものにして論者が明治二十三年の時に溯りて其割合の四分餘に減却したる事實を追懐したらんには思、半に過ることある可し近時往々準備金の多寡を評する者は歐洲學者の説なりと稱し準備金は發行紙幣の三分の一以下に下る可らずと云ふ者あれども我輩未だ斯る學説あるを聞かず(或る學者は銀行の有金如何を論じ其現額預金總額の三分の一に下る可らずと主張したるものあり)學説の有無は姑く擱き元來準備の厚薄は國々の状態に由り自から差異あることにして決して一定の規則を以て論ず可きものにあらず我輩の所見を以てすれば我國に於て兌換券の發行を節すること今の如くにして金融社會實際の需要に超ることなからしめなば八千六百萬の準備は減じて五千萬と爲るも毫も恐るゝに足らず否な尚ほ其以下に下るも兌換の制度に影響するなきを信ずるものなり

外債募集説第二の理由は更に薄弱なるものなり現今經濟社會の感ずる所は金融の逼迫にあらずして寧ろ其澁滯に在るが如し戰爭一たび開けて以來諸銀行等は只管警戒を加へて萬一の急に備ふるが故に目下流通紙幣は六月以前に比して却て多きにも拘はらず金融の斯くも圓滑ならざるは日本銀行に於て近來預金の大に增加せりとの噂に徴しても明に見る可し戰爭は國家の大病なり此病にして全治せざる以上は如何に外資を注入すればとて國の衰弱虚脱は得て救ふ可きに非ずつらつら我國經濟社會の状體を觀るに世の實業家と稱する者の中その大半は通商製造運輸等の業に從事するに非ず假令ひ表面は其業に關係するが如くなるも内實の本職は證券類の賣買取引に奇利を利せんと欲する者に過ぎず近來動もすれば中央銀行に迫りて融通手形の割引を請求し又は其利息の低廉ならんことを嘆願するが如き何れも例の實業家に屬する人々にして彼等が外戰以來株券の下落に膽を破られ陰に陽に利息の昇騰せざらんことを謀り今又外債論を主張して私の急塲を遁れんとする其心の底こそ窺ひ得られて明白なれ商人の利を重んずるは無理ならぬことにして必ずしも咎む可きに非ざれども之が爲めに國家の長計は誤る可らず今より十餘年前には七歩利の公債證書を六十圓に賣買したることもあり今日五歩利の整理公債が八十圓内外に下ると覺悟すれば更に何千萬圓の軍事公債を募集するも易々たるのみ故に我輩は徹頭徹尾外債を忌む者に非ざれども先づ之を内に募りて金融の情勢を視察しいよいよ硬貨の缺乏を告げて之が爲めにいよいよ兌換制度の破れんとする其事實の徴候を確認したる上には更に首を回らして外債の一策に依頼せんことを勸告する者なり