「報聘大使の來朝、大鳥公使の歸朝」
このページについて
時事新報に掲載された「報聘大使の來朝、大鳥公使の歸朝」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
報聘大使の來朝、大鳥公使の歸朝
過般我帝室より朝鮮の王室并に大院君御慰問として勅使を差遣はされたるに付き其御答禮の爲め且は今回の事件に付き我が厚意を謝する爲め彼國にては特に王子義和君を報聘大使として來朝せしむることに決し其一行は既に廣嶋に到着したるよし彼の王室より特派の大使とあれば其筋にて夫れ夫れの御待遇ある可きは勿論のことなれども聞く所に據れば右の一行は單に王室の使命を帶ぶるのみならず傍ら日本の國情視察の用をも兼ぬるものゝよしなれば我國人は官民公私の別なく其一行を歡待してあらゆる便宜を與へ充分に視察の任を盡さしめ彼の國事に資する所あらしめんこと我輩の希望する所なり
義和君は國王殿下第二の王子にして夙に聰明の聞あり又隨行の視察員中には前年長く慶應義塾に留學したる兪吉濬氏を始めとして他に才俊の人物少なからざるよし此一行が實地の視察を遂げて歸國の上は彼國事の改革に就ても大に見る可きものあらんなど思ふものある可けれども朝鮮現時の有樣にては到底思ひも寄らず其證據には彼の朴泳孝の如き永年の間我國に在りて文明の空氣に養はれ改進の事情に通ずること淺からず彼の國事の改革の爲めには最も必要の人物にして且つ朴と進退を共にしたる同志の人々にも用ゆ可きの人材なきに非ず韓廷の當局者にして果して日本の事情を視察せしめて其改革に資するの考ならんには差當り朴氏以下のものに地位を與へて改革の事に從はしむるこそ適當なるに實際は全く反對にして彼等は只歸國罪名を除かれたるまでにして其一身さへも容るゝに所なき有樣なりと云ふ左れば今度一行に望を屬するが如きは彼國の實情を知らざるものにして若しも彼の情態にして今日の儘ならんには假令ひ其一行が我國進歩の有樣を視察して大に心を動かし歸來改革の實を促さんとするも其結果は前年朴泳孝金玉均の徒が國命を帶びて日本に來り歸國の後に種々に計畫する所ありたれども百事意の如くならずして遂に其身を危ふするに至りしが如く實際に何等の效能なきは我輩の敢て疑はざる所なり然りと雖も朝鮮の國事は決して目下の儘に捨置くを得ず彼の當局の頑陋輩に一任して其改革を望むも到底見込のなきことなれば傍より大に鞭撻して其實を責めざる可らず今回駐韓公使の更迭は自から事を新にするの好機會にして今後對韓の政略は必ず見る可きものあることならん我輩は大使の一行を迎るふに當り我勢力を以て〓國の改革を督責し以て速に事の實を擧げしむることに盡力し彼の一行の視察の結果をして徒勞に屬するに至らしめざらんことを敢て當局者に希望するものなり
大鳥公使の歸朝
井上公使の赴任、大鳥公使の歸朝に付き或は此際に公使の更迭とは何か事情のあることならんとて竊に疑ふ者もあるよしなれども我輩の所見を以てすれば其理由は明々白々毫も疑ふ可きものなきが如し抑も大鳥氏が今度の事件の始めに一身を以て難局の衝に當り種々の困難を冒して韓廷に於ける支那の勢力を挫き遂に改革の端緒を開かしめたる其苦辛盡力は尋常一樣に非ず優に外交家の能事を盡したるものと云ふ可し其功蹟は一般に認むる所にして氏の技倆に就て云々するものはある可らず今回の更迭は人の技倆如何に非ずして事情に於て然らざるを得ざるものありと云ふは外ならず彼の國事の改革は種々の變症を呈していよいよ其實を擧げしむるは實際困難に相違なしと雖も大國の力と理義の正とを以て之に臨むときは其目的も達すること敢て難きに非ず彼人にては六ケしく此人ならでは叶ふ可らずとの理由はなけれども抑も彼國の改革は單に日韓兩國の關係に止まらず世界各國共に目を注ぎて竊に其成行を窺ひつゝあることなれば日本の目的は全く其改革を促すのみにして決して他志あるに非ずとの事實を示し他に安心を與へんとするには其技倆は兎も角もとして地位名望共に高く外國に對しても信用ある人物をして其局に當らしむること自から外交略の得たるものなる可し或は單に技倆の點より見るときは政府の内外に在る政客中自から難局に當りて事を處するの人物に乏しからず必ずしも井上伯を煩はすに及はざれども特に伯を撰みたるは第一流の政客として地位名望の高きのみならず年來外交の經驗に乏しからずして外國人の信用も自から他に異なるものあるが爲めに外ならざる可し理由の明白なること斯くの如し其更迭は毫も怪しむに足らざるなり故に我輩は井上公使の新任を適當と認むると同時に大島公使の功蹟を記臆して永く之を忘れざるものなり