「英國と日本」
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時事新報に掲載された「英國と日本」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
英國と日本
我輩は過日の紙上に英國の新聞紙が今回の日清戰爭に付き自國の利害を思ふの心より支那の勝利を希望すと云ふは甚だ解す可らざる申條にして彼等は遠からず其説を飜して寧ろ日本の勝利を希望するに至る可しとの次第を述べたるが果して我輩の豫想に違はず最近の倫敦通信に據ればタイスムを始とし彼國にて最も有力なる諸新聞紙は何れも我日本兵が平壌と云ひ黄海と云ひ僅々數日を隔てゝ海に陸に何れ劣らぬ花々しき大勝利を得たりと聞て一驚を喫し茲に始めて支那の頼むに足らず又日本の侮る可らざるを發明したるものゝ如く俄に是れまでの論調を改めて我海陸軍の功名を稱賛し日本こそ英國に取りては自然の同盟國なりと唱ふる者さへあるに至れりと云ふ抑も支那と比較して日本の遙に有為有力なるは多年來分り切つたる事實なるにも拘はらず英國人が徒に老大國の版圖人口の廣大なるに眼を奪はれ東洋に於て我同盟たる可き國は支那を措て外になしなどゝ盲信して以て今日に至り偶ま戰爭の結果を聞て始めて夢の覺めたるが如くに英清同盟の頼むに足らざるを發見したるは如何にも迂濶千萬の次第なれども西洋の諺にも過を改るに晩きに過るの時なしと云へば英人の迂濶も左迄深く咎るに足らざることゝして扨て自今英國が愈よ支那を離れて日本と相提携するの心ならんには我輩は特に彼國人に向て注意を促す所の一事あり即ち務めて我國に對して好意を示し以て國民の歡心信用を得ること是れなり凡そ國と國と同盟して〓〓相救はんとするには唯兩國の政府が互に條約したるのみにては未だ以て足れりとせず其政府の後楯と爲りて外交上の政略方針を支持する所の人民にして互に猜疑の念を去り相共に親み交るの意なきに於ては到底眞實有効の同盟は望む可らず如何となれば國家の安危に關する重大問題に就て一國政府の運動は専ら人民の意志に因て定まること自然の順序なればなり殊に日本の如きは既に國會の設けもありて政府の一擧一動、都て皆人民の意志に從て行はるゝのみならず我日本國人は一種の民にして國中の貴賎貧富を問はず老若男女に論なく固有の愛國心に富み其國を思ふの熱情に至ては殆んど世界に比類なき程の次第なれば今この國と相結んで同盟の實を擧げんとするには國民の感情を害するの恐ある擧動は一切これを慎む可きは勿論、機會の生ずる毎に有らゆる方便を盡して其歡心を求め其信用を得るの〓を爲すこと最も肝要なる可し然るに近來英國人の我國に對する擧動を見るに固より我れに對して敵意を示すものに非ずと雖も去りとて又特別に我れを厚遇するものとは如何にしても認む可らざるが如し例へば日本軍の始めて京城に入るや同處駐剳英國總領事ガードナー氏が我哨兵線を犯して兵士に誰何せられ茲に一塲の紛議を生じたる時に當り倫敦の諸新聞紙は同領事の報告なりとて日本の兵士が同氏の細君に無禮を加へたりなど有られもせぬ虚報を誠しやかに書き立てゝ日本人は亂暴狼藉至らざるなき蠻民なりと公言したり斯る虚報はガードナー氏の手より實に之を傳へたるものか又は倫敦新聞紙が風説に誤られて之を信じたるものか我輩これを知らずと雖も兎に角に此一事が日本人をして英國を愛するの念を起さしむるの原因たらざるしことは事實に爭ふ可らず次で豐嶋の海戰に日本の軍艦が支那政府の運送船高陞號を沈没せしめたりとの報知倫敦に達するや數多の新聞紙は又々大に激昂し能く事實をも探究せずして漫に日本の「暴行」を非難し口を極めて我海軍を罵詈したるは實に無禮千萬の擧動にして苟も日本人民たる者は誰とて之を憤らざるものあらんや又此度び東洋艦隊の司令長官フリイマントル氏が日本軍艦の爲めに破壊されたる支那の廢艦廣乙號の乗組員を救助して之を本國に護送したるが如き若し果して事實ならば是れそ明に國際法に戻りたる行為にして英國の海軍司令長官は日清の戰爭に就て支那に左袒する者なりと云はるゝも辨解の辭はなかる可し思ふに英國にても政府の當路者を始めとし苟も東洋の事情に詳なる人々は目下の勢に照して日本を親密にするの甚だ大切なるを知り右等の事件を見聞して心中竊に憂慮するならんなれども如何にせん支那と同盟する事は英國年來の政略として人に知られたるものなれば時勢の變遷に通ぜず東洋の現状を解せざる新聞記者并に軍務外交の官吏中に唯一圖に英清結托の舊政略を遵守し些々たる事柄に就ても支那に味方して以て自家の本國に忠義を盡さんとするより斯る不都合の生ずることならん從前の行掛りよりして自から恕す可きの事情なきに非ざれども世間普通の人は決して此の如き情實の存するを知る者に非ざれば今日の事態にして永く續くときは英國に對する日本人民の感情は或は益す苦々しくなるの掛念なきにあらず去りとては誠に遺憾なりと云ふ可し過般英國政府が他國に卒先して我國と對等の條約を締結したるは日本人民の大に滿足する所にして是れが爲め日英兩國の關係漸く温ならんとする此際に當り些々たる出來事の爲めに日本人の感情を損して猜疑の念を起さしむるは我輩英國の爲めに謀りて取らざる所なり