「黄海戰評(昨日の續)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「黄海戰評(昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

次に戰略上の問題に就て云はんに昨日まではタイムス新聞が支那の筋より出でたる芝罘に在る一士官よりの報知を掲げたるとセントラルニユース(新聞紙)の通信者が發したる伊東司令官より日本皇帝陛下に上申したる報告文の電報とに接したるのみにて吾々は孰れの報道が果して正確なるやを判斷するに苦しみたり吾々は一も正確なる報道を得ずして艦隊の運動に關する曖昧衝突の談話は容易に一致す可くもあらざりき吾々は尚ほ天候、進路、双方の關係距離、速力及び其他重要の點に就て未だ明白の詳報に接せずと雖も然れども今は既に不知案内の境界を脱したり戰爭の細目を案ずるに了提督の擧措は種々の理由よりして伊東司令官に企て及ぶ能はざること勿論なれども同司令官の處置も速力砲火の如き自家に利uある諸種の要點に就ては全力を擧て遣さゞりし其割合には大に其敵手に凌駕したるものとは認む可らざるが如し七ノツトの速力なる支那艦を以て衝突器又は水雷を使用す可き距離に近寄ることは固より望む可らざる所にして一回を除くの外は千二百ヤード以内に接近することを得ざりしと云ふ即ち實際の戰爭は二千ヤード乃至三千ヤードの距離に於て戰はれたるものなり蓋し是れには自から他の原因もあることならんなれども姑く他日の談として聞く所に據れば致遠の艦長は提督の命令に從はず他の艦長中にも戰の終るまで港内に蟄伏して出でざりしを以て譴責を蒙りたるものあり而して其中の一人は卑怯の罪を以て刑に處せられたりと云へり丁提督は實に其艦隊をして列を正し進退を一にせしむることに就て非常の困難を感じたるが日本艦隊の運用と其秩序の正しきとは敵さへも感服したる程なりき戰爭は平行線を以て數時間戰ひたる後恰も亂軍の有樣を呈し互に敵の退却を見て再び其艦隊を集合するのみにして双方の司令官共に等しく全體を統率するの力を失ひたるが如し丁提督の戰略は斯る状勢に於て施す可き最上のものに非ざるは軍人社會の一般に認むる所ならんなれども然れども伊東司令官の此塲合に處する方略も亦等しく過失を免れざるものに似たり

更に双方の勢力如何を比較するときは先入の誤解を正すに足るものある可し艦數を以てすれば支那は十二隻日本は十三隻にして双方共に殆んど同數なり噸數を以てすれば支那は三萬五千百二十五噸、日本は三萬六千五百三十九噸を算す可し而して支那艦の十隻は或る甲装のものにして日本艦の十隻も亦同種類のものなれば艦隊の勢力に於ては全く相匹敵するものと云ふ可し各艦防禦の装置に就ては大早計に明言するを得ざれども双方共に二千ヤードの距離に於て現塲に臨みたる敵艦の甲装を貫くに足る可き大砲を備へたり而して砲數の比較に至りては吾々は日本艦隊の優勢を認めざるを得ず尤も兵器の装置は其後多少の變更ありしやも知れず特に日本艦に於ては左る疑もなきに非ざれども吾々は英佛兩國及び墺地利國にて調査したる砲表に據り注意して比較したり寸毫を誤らざるの精確は固より期す可らざるが故に吾々は事實の報道を得て之を訂正することを勉む可しと雖も重要の點に於ては別に大關係なきを信ずるものなり件の表に據て見るに日本艦は口径四吋七(十二サンチメートル)以上の大砲百二十五門を備へたれども支那艦に於ける同大の大砲は五十五門に過ぎず况んや六吋(十五サンチ、二)以下の速射砲及び器械砲(是種の砲は表中に列せず)を比較するときは日本の優勢は尚ほ著しきものにあるに於てをや勿論是等の砲門は敵艦に對して一齊の發射を爲すこと能はざりしならんなれども兩艦隊の運動に關する詳報を得たる上に非ざれば此點に就て論ずるは無uの勞なる可し兎に角に日本艦は是等の大砲を連發又連發したる其上に六吋以下のものに至りては敵の一發に對して四發を發射し得る割合なれば支那艦が實際の報告より尚ほ一層の射撃を蒙ることあるも決して驚くに足らず乗組員の死傷に就て其孰れが多きやを詮索するが如きは毫も其必要を見ざるなり而して日本は砲力に於て既に優勢なる上に其軍艦の速力は何れも著しく迅速なるを以て運動力の點に於ても亦利uを占めたり速力の迅速は果して世人の喋々したる如く實際に有效なりしや否やは吾々の宜しく研究す可き所なり聚中、追撃、偵察等の目的を達するに當りて速力の最も肝要なるは明白なれども既に敵艦に會して戰を開かんとするに臨みては果して效能ありや否や此疑問は黄海の戰爭に於て解釋を與へたるものゝ如し致遠が衝突器を使用して目的を達したるや達せざるやは未だ詳ならず致遠は本來衝突艦に非ざるが故に其後自傷の爲めに沈沒したるは驚くに足らざるなり要するに衝突器は實際に用を爲すに至らざるが如し如何となれば其器械を備ふる所の軍艦は之を使用するの距離まで敵艦に接近したることなければなり

尚ほ此戰爭の細目に關して輕々看過す可らざるは其損害の割合に輕微なる一事なりサー エドワード リード氏は數日前に「此戰爭に關係したる軍艦の大半は必ず廢艦に歸す可し如何となれば其多くは構造又は甲装の點に於て不充分のものなればなり」との旨を斷言したりと云ひ又ダブルユー エツチ ホワイト氏もロヤルソサイチーの集會に於て近代の軍艦は一討戰を經るの後は再び用を爲すものに非ずとの説を述べて多數の海軍々人も其説に同意を表したり然るに今日までの處にては構造、甲装共に不充分なる唯一の理由の爲めに廢艦に歸せんとするものは單に一隻に過ぎず而して雙方共に六時間の激戰を戰ひたるにも拘はらず二箇月の中に軍艦の戰闘力を回復すべきことを確に明言せり