「旅順口の占領」
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時事新報に掲載された「旅順口の占領」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
旅順口の占領
昨日の時事新報號外を以て報〓したるが如く大山大將の率いる我第二軍は金州、大〓灣の兩處を攻落したる後直に旅順口を目指して〓軍し遂に本月廿一日を以て難なく同灣を占領して旭日の國旗を其砲〓に樹立したりと云う抑も開戰以來我日本軍の向う所戰て勝たざるなく攻て取らざるなく陸に於ては平讓の一戰に支那の全軍を朝鮮の國境外に〓拂いたるのみか尚ほ深く敵地に〓入し九〓鳳凰の二城を容易に攻落して秀〓も〓に我有と爲り今や破竹の勢を以て滿州地方に縱横して殆んど敵の〓る者なし海に於ては黄海の戰に我海軍は北洋艦隊の最良部分を粉微塵に撃〓して再び戰う力なきに至らしめ〓に海上の全權を我手中に掌握することを得たり陸と云い海と云い我軍隊の功名は之を比するに例なく之を稱するに言葉なし我輩は自から國を愛する心より我戰勝を〓ぶと同時に又其報告が歐米の新聞紙に現われ世界各國の人民をして日本は斯くまでに〓力なるかと一驚を〓せしめたるを見て更に愉快に堪えざる其折柄今又旅順口占領の報を得たり我輩は早晩この事ある可しとて世人と共に指を屈して其日を待〓たることなれども今日眼前に其確報に接しては今更のように思われて滿胸の欣喜自から禁ずる能わず〓として唯夢の如きのみ傳へ聞く旅順口は支那第一の軍港なるのみならず東洋に於て之に比す可き要害堅固の港は他にあることなく前年其築〓を擔任したる外國の技師某は此港をば絶対的に攻破る可からざるものと爲す目的を以て諸般の計畫を爲したりとて世界中の軍人〓會に旅順の名を知らざるものなし其尋常一様の軍港にあらざるを見るに足る可し斯る大切なる塲所をば僅に一戰の下に敵に明け渡したる支那人の意志は果して何處に在るや普〓人間の心を以ては殆んど想像すること能わざる所なり旅順口にして〓に日本の有と爲る以上は左なきだに〓〓意の如くならざる支那の艦隊は愈よ益す〓動の自由を失い船體破損するも之を修繕する塲所なく軍器弾薬欠乏を告るも之を〓う術なく唯目當もなく東洋の海面を〓〓して早晩日本艦の爲めに撃破せられ捕獲せらるゝか然らざれば風雨〓誠に憐なりと云う可し艦隊に軍港の必要なるは恰も人間に家屋の必要なるが如し假令ひ如何なる有力の軍艦ありと雖も其〓泊の軍港にして不完全なるときは更に戰〓の用を爲さざるは海軍學の教ふる所、又實地經驗の示す所なり昨年〓米ブラジル國の海軍卿が其監督する所の軍艦をば殘らず引〓れて謀反したるとき政府の方には殆んど一隻の戰艦と稱す可きものなく辛うじて他國より水製の古艦など買入れ來りて防禦の用に供したる程の次第なりしが幸にして國中の要港は〓く政府の手に殘りたるを以て反徒の艦隊は其實力強大にして政府の海軍を壓倒す可きにも拘わらず戰爭の〓むに從て次第に物品の供給に〓なく艦體の修繕に方便を缺き恰も家を離れて路頭に〓う人の如く〓〓維谷まりて〓に和を〓うに至り戰爭は政府の全勝と爲りて終を告げたり軍港の海軍の爲めに如何に大切なるかは此一例を見ても明なる可し今や我軍は〓に北洋艦隊の根據地として頼切つたる旅順口を占領して支那帝國の命門を押えたれば今回の戰爭は〓に一段落を告げたりと云うも可なり是より〓んで北京を衝くも奉天に乗〓むも我心の儘にして支那皇帝をして我軍門に降を〓わしむるも蓋し〓きに在らん豈亦た快ならずや謹んで帝國の滿〓を〓す