「支那人容易に信ず可らず」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「支那人容易に信ず可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

聞く所によれば天津税務司デットリング外清國人數名が獨逸汽船に搭じ使者として來り何

か媾和に關する書を持參したりといふ支那が連戰連敗の今日洵に左る事もあらんなれども

其使命は果して北京政府よりの降參書を呈するものか或は李鴻章よりの私書を取次ぐもの

か未だ明白ならず若しも單に李の使命とすれば既に前日も獨逸人シユルツベルゲルが同樣

の來意を齎したることもありて更に對手とするに足らざるのみか今や戰爭も大に進みて支

那隨一の要害と賴みたる渤海灣の咽喉を扼せられ其帝都の運命まさに旦夕に迫るの折抦一

老爺たる李鴻章が漠然内談を申込む抔とは馬鹿氣切つたる沙汰にして共に語るに足らず其

使者の如き宜しく門前拂となす可きのみ若し又假りに北京政府の使者なりとせんか其降を

乞ふの條件如何は未だ知る可らざる上に好し償金を拂はんと云ひ土地を割讓せんと云ふに

もせよ我政府は之に對して容易に喋々相談せざらんこと我輩の希望する所なり盖し今の文

明諸國にては戰爭に際し種々の策略を用ゐ虚々實々變化極りなしと雖も一旦媾和又は休戰

等の約束をなすに當りては交戰相敵する中にも自から約束に對するの德義を守りて决して

違ふことなしと雖も支那人は則ち然らず恰も此等の約束を以て戰術の一端と心得るの常な

り先年英佛同盟軍が彼國を征伐したる際にも其實例を示したるのみならず近くは過般豐嶋

の海戰にも彼の軍艦遠が勢窮して白旗を掲げながら少しく間隙を得るに及んで忽ち脱走し

たるが如き又平壤の役にも白旗を樹てゝ降服を乞ひつゝ夜に乘じて潜に奔竄したる等證左

歴々として其約束を守るに信なきは實に彼等の特性なり降參と云ふも决して聽くに足らざ

ることなれば彼がいよいよ恐縮したらば口頭文書を以てせずして須らく吾に與ふるに充分

の保證を押へざるよりは一歩も進軍を駐めず一時も猶豫を與ふ可きにあらず我輩の特に注

意を望む所以なりデツトリング渡來の事は未だ其實相を詳にせずと雖も早晩必らず此種の

事あらん豫め一言を費やす者なり