「醫術の革新」
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時事新報に掲載された「醫術の革新」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
醫術の革新
凡そ人間〓會の〓歩は一方に偏せざる約束にして政事軍事學事商事等立國の要素は〓の〓の必ず〓衡を保ち相並んで戻らざるを常とせり左れば政事のみ獨り〓んでゝ學事商事の之に伴わずと云うを聞かず一花綻びて天下の春を知る一事〓に〓歩の證跡を明にすれば〓隨て百科の〓〓を徴するに足る可し軍や先、商や先、〓れ先だつも僅に歩武の間にして大勢一たび動くときは孰れか自然の原則に濡れんや〓〓我國の〓歩は世界の耳目を驚かず中にも軍事の如きは〓練〓勇向う所に前なくして人も〓れ吾も自から誇る所なれども今これを我國〓歩の大〓より〓觀すれば必ずしも特に出色と云う可きにあらず例へば學術〓會に於ける北里博士の如き久しく海外にありて黴菌學の〓微を究め歸朝後たまたま香港の惡疫の流行を機とし親しく危地に入りて〓に從來世界萬國にも知られざる黒死病の源因を發見したる等その成績の偉大なるは猶ほ我陸海軍の〓歩に比す可きものにして双方時日を同ふしたるは最も現著なる事例として見る可し之と等しく政事も〓み商事も〓み各般の事すべて同樣の〓歩をなしつゝあるは我輩の敢て疑を容れざる所なり然るに此學界に光を放ちたる北里博士は頃日又もや實布〓里亞病に新治法を施して着々斯〓の〓奥を啓かんとせり左に其報告書を掲げて讀者と共に日本帝國の文明は〓して〓會自然の約束に〓わずして花あり實あるを〓せんとするものなり
實布〓里亞の傳染病なることは古來人の知る處なれども其特異病原を發見したるはリヨフレル其人の功にして實に一千八百八十四年に在り北里博士在獨の日學友ベーリングと共に本病の免疫法を研究し動物試驗に於ては充分の効果を〓めたり其試驗方法及成績は當時の内外專門雜誌によりて一般醫學〓會に紹介せられたれば其〓の人は定めて記臆することならん斯の如く動物試驗に於ては充分の成績を得たれども未だ〓く人體に應用するに至らずして博士は歸朝の〓につきベーリングは他の學友と共に引續き研究に從事し〓に今年に至りて其成績を公にしたり
ベーリング等の治療したる實布〓里亞患者は合計二百二十人にして治療はエリザベツト病院市立モアビツト病院傳染病研究所病室の四箇所に於てし又病症の輕重難易を問わず入院患者一般に施行したりと云う今其治死の比例を聞くに左の如し
患者合計全治死亡患者毎百ニ付全治比例
二二〇一六八五二七六、四
右の内氣管切開術を行いたる者
合計全治死亡患者毎百に付全治比例
六七三七三〇五五、一
右の表に依りて見るときは從來不治の難症と思〓し施治醫は手を束ねて空しく天命を俟たる實布〓里亞症の四分の三以上は此新療法によりて救助するを得べく又特に重症にして氣管切開術を施したる程の患者も〓數以上は命緒を〓留するを得るを知るべし更に左の表を觀察するときは新療法の恩澤〓大無邊なるを合點すべし
發病以來の日數患者全治死亡患者毎百に付全治比例
第一日六六〇一〇〇、〇
第二日六六(九)六四(七)二(二)九七、〇
第三日二九(八)二五(七)四(一)八六、〇
第四日三九(一四)三〇(一〇)九(四)七七、〇
第五日二三(一〇)一三(四)一〇(六)五六、五
括弧中の數は氣管切開術を施したる者に係る
則ち第一日に治療を受けたる者は百發百中一人の死亡者なく第二日第三日に至れば漸く死亡の數を〓し第五日に至りたる者は〓數以上を救命するに〓ぎず然れども新療法を施さざる者に比すれば全治者の多き事論を俟たず
又死亡者の死因を〓れば左の如し
死亡合計五十二人中咽〓實布〓里亞二二氣管切開術を施したる者三〇
内敗血症八同上四
肺炎七同上二三
後〓病六同上二
〓粒結核一同上一
計二三計三〇
由是觀之死亡は直接實布〓里亞の所爲にあらずして他病の繼發したるに歸因すること知るべし
尚入院後死亡迄の時日を觀察するときは死亡者の多數は入院の翌日にあるが故に其死亡は到底救うべからざる者たりし事を會得すべし
入院當日死亡者六
二日目死亡者一二
三日目死亡者八
計二六
爾餘の二十六人は若し薬液の供給充分なりしならんには幾分か救い得たるならんと云う又他人の監督に係る病院に於て治療したることゆ〓何分か取扱上不如意なる點ありしならんと餘處ながら想像する處なり
先是北里博士は歸朝早々研究事業を繼續し且つ人類にも應用せんとの計畫なりしが右薬液は動物體を假りて製すること故〓の薬品の如く實驗室内に於て製するを得ず從て完全なる動物室を要する者なるに一方に於ては研究所の建設延引したる等の事〓により漸く本年初夏の候に至りて薬液を製し得たり然れども實驗に實驗を積みたる上ならでは人體に應用する能わざるが故に此頃漸く實地治療を施すに至りたりという
〓〓液製〓の法を聞くに山羊綿羊等は最も實布〓里亞に感じ易き者なるが故に最初實布〓里亞菌の純粹培養をなし薬品を以て黴菌を殺却し其極少量を綿羊又は山羊に注射し漸々日を重ぬるに從て其量を〓し一定量に〓したる後更に黴菌を殺さざる純粹培養の極少量より初めて漸次其量を〓加し斯くて〓年内外を經〓する時は羊は實布〓里亞に對して全く免疫となり劇烈なる毒性を有する純粹培養十立法センチメーテルを注射するも〓末の異〓を認めざるに至るべし然る時は其動物の血液中にはアンチトキシン(對毒素即ち毒力を中和する物質)を含むが故に其血液より血〓を分離して之を動物又は人體に注射する時は其動物又は人體は實布〓里亞に對して免疫となるが故に確實に該病を豫防するを得べく又已本病に罹りたる者に注射するときは發病の初期に於ては必ず治癒の効を奏すべしと云う
斯て充分の準備整頓しければ傳染病研究所に於ては患者の投室を待ちしに本月中旬實布〓里亞患者の診を乞う者ありければ直ちに入院を命じて新療法を施し〓に回生の〓効を〓め得たり
今患者病歴の概略を聞くに
和田某一年三箇月芝區の住なり本月十日の夜より發熱感〓の模樣あり十一月十二に至り病勢益々募り聲音〓〓、哺乳困難、呼氣異〓等の症〓を呈しければ十三日午前北里博士の診を乞いしに咽喉は全く全く義膜を以て〓いたり其一部を取り〓〓せしに眞性實布〓里病菌を認めたり因て直に入院を命じ午後四時傳染病研究所病室に投ず直ちに血〓注射法を行いしに入室時三十八度三分乃至八分の體温なりしも午後十時に至りては三十七度五分に下降し翌朝八時に至りては更に三十六度七分に降り諸症大に輕快し哺乳も稍容易く發聲も少しく恢復するに至り三日目には義膜殆んど消失し全身〓和なきものゝ如く八日目にして全治〓室するを得たり注射の數六回にして血〓の全量八、五〓なり該症の眞正實布〓里亞なりし事は顕微鏡檢査上該病菌を確認し加えるに純粹培養動物試驗によりて確めたる者なるが故に從來の療法に一任したらんには其生死容易に測知すべからざる者ありしならんに斯く〓に治に就きたるは偏に醫學〓歩の賜と云うべし
右患兒と相前後して某醫學士及研究所書記某も實布〓里亞疑似症に罹りて血〓療法を受け何れも全治したり右二人の臨床的症候は實布〓里亞に相〓なきも黴菌學者の診斷上には聊か不完全なる點あるを以て〓には其治驗を省略すべし
唯り實布〓里亞のみにあらず破傷風の如き〓〓扶斯の如き丹毒の如き結核の如き其他黴菌學的治療法即ち免疫法は漸次好〓なる効果を〓めつゝあるに拘らず醫學〓會中今尚ほ免疫法の成否を疑うものあるは一見奇なるが如くなれ共皇漢醫術復活を唱える者さえある世の中なれば敢て驚くに足らず畢竟其人の無智無識を證するに〓ぎず實證の前には巧〓なし世間の〓鳴?〓日ならずして其聲を〓むる期あるべしと云へり