「朝鮮人の教育」
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時事新報に掲載された「朝鮮人の教育」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
朝鮮人の教育
朝鮮改革に就ては豫てより屡々〓ぶる所あり世間にも種々議論あれども改革の目的を要するに彼國をして文明開化に赴かしめんとするに外ならず然るに朝鮮は我日本の維新と大に事〓を異にして元來文明の素養に乏しく國人自から國事の方針を定むる能わず唯他の指導扶〓を俟つ外なきのみか或は一時日本の兵力に恐れて其言う所に盲從するもある可く或は偶然の僥倖を〓い若くは革新の新事を奇として輕卒に奔走するもあらん兎も角も今日の事は專ら他動的にして自動的にあらず俗に謂う付焼刃の改革なれば其成績も酒狂の勇に等しく〓中は頗る活〓にして引立てども一旦酒氣の消散するときは忽ち沮喪にして復た憫む可き〓態に歸せざるを得ず此の如くにして幾年を經〓するも砂上の楼閣〓に徒勞に属す可きが故に目下の急は急として同時に其根底を固くし獨立自から支える基礎を〓るこそ肝要なれ此根本的の改革をなすに就ては文明〓歩の原動力たる可き人材を養成するは其最も主要とする所にして即ち朝鮮人の教育を言う所以のものなり其法如何にして可ならんと云うに蓋し今の腐敗混亂せる彼國内にては容易に其事の〓びも就らざる上に四圍の空氣に影響せられて修學の甲斐もなかる可ければ取敢へず俊秀を撰〓して國外に出し目に文明の事を〓、耳に文明の事を〓き而して文明の實學を〓究せしむる外ある可からず窃に其實施の方法に就て案ずるに世界文明の邦國その數多しと雖も朝鮮人に取りて特に〓學を恰當せるは我日本に如くものなかる可し抑も日本と朝鮮とは僅に一〓帶水を隔てたる隣〓の間柄にして言語文章も相〓く古來の因〓も淺からず殊に今回の如きは其獨立を扶助せんが爲めに戰い其文明を誘〓せんが爲めに改革を助成しつゝあることにして今後とも國事の方針は都て我國の指導を受けざる可からず其國事に任ず可き人が國事の指導を受く可き國に就て學ぶとは自から間接直接の便宜ともなりて當然の次第のみならず左らぬだに我國人は古來の德風依然として教育を商賣〓せず子弟の養成に篤實懇切なること〓に諸外國人の性〓を知り又朝鮮人の必要如何を知〓して仁慈義〓以て之に臨むことなれば受業者の好都合は〓して此上ある可からず〓んや歐米に至れば少なからざる費用を要するなれども我國にては其〓分以下四分一にても事足る便宜もありて〓々彼國人の好〓學地なるに就ては朝鮮政府は一日も早く〓斷して從來の如く僅少の學生に止まらず五百人も千人も續々派〓して事〓の許す限りは多々ますます其人員も〓加せんこと我輩の切に勸告する所なり假に學生一人に付き一箇年百五十圓とすれば百人にして一萬五千圓、千人にても十五萬圓に出でず朝鮮政府の財政不如意にもせよ豈この小額の負擔に堪えざるをあらんや右千人の中には〓〓にして癈絶するもある可く又は成蹟思わしからざるもある可し多少の功を奏する者は三分の一となるか四分の一となるか素より知る可からずと雖も五年若くは七年の後に至り此等の學生の歸國するに及んでは何れも文明實學の聲をなして一人より數人、數人より數十人に傳へ以て大に全〓會の開明を助くるや必然にして日本にても徃時は曾て之と同樣すべて勢力の〓〓は此例によるを常とするものなり所謂獨立自から支える基礎は之によりて漸く成るものにして今日に至るまで此要素なかりしこそ朝鮮の不幸なれば之が爲めに五七年の時日を待つこと恰も〓きに似たれども其〓きだけますます斷行の〓を要する所以を知る可し右は朝鮮政府の爲めに畫策したるものなれども我國とてもイツまで從來の朝鮮の如き基礎なき國家を支持す可けんや否な自立の力を與へざり限りは幾年の苦辛も一朝忽ち水泡に属する〓憾を免れざる可し聞く所によてば井上伯が彼國王に呈したる奏議の中にも留學生を日本に派〓す可しとの事ある由我輩は其必らず勵行せられん事を望む者なり