「媾和使節渡來の説に就て」
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時事新報に掲載された「媾和使節渡來の説に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
媾和使節渡來の説に就て
上海よりの近報に據れば北京政府にては總理衙門の大臣張某を全權使〓として媾和の爲め我國に派遣せしむることに決したるよし從來媾和談は毎度のことにして〓議に定説なきは彼の政府の常なれば果して實際に決行す可きや否や世人の容易に信ぜざる所なれども我輩が聊か耳にしたる事實より測量するに其使〓なるものは實際に政府を代表して休戰媾和の全權を帶びるや否やの點は兎も角もとして派遣の一事だけは強ち無根にも非ざるが如し扨その使〓が如何なる媾和の條件を申出すや其申出は果して我國に於て容るゝに足る可きものなるや否やいよいよ渡來して談緒を開きたる上に非ざれば知るを得ずと雖も彼の政府が曩きにデトリングを派遣して我が拒絶に遇ひ手持無沙汰に歸國して外交社會の笑柄に供せられたる事實あるにも拘わらず更に使〓の派遣に決したるを見れば事〓いよいよ切迫して計の出づる所を知らず只管哀願する外に手段なきを悟りたるものなる可し開戰以來の成行を見るに連戰連敗一回も功を奏せず就中旅順の如き直隷湾の鎖〓として頼切たる堅固の要所さへも僅々の時間に失いたる程の次第にして到底兵力を以て爭う可からざるは明白なり況んや日本軍はますます北進して今や牛〓奉天府も殆んど危く此勢を以て進むときは山海關、天津の如き何時襲撃を蒙るやも知る可からず北京の運命〓に眼前に迫りたることなれば流石に無感覺なる彼の當局者も最早や止むを得ずと覺悟して媾和の議を決したることならん即ち旅順の陥落は彼等の腦髓に非常の痛撃を與へ其〓夢を〓して自から屈するに至らしめたること更に敗北を外にして最も彼の政府を刺衝して速に自屈を促さしめたるものは占領地の始末なりと推量して疑なきが如し彼の兵隊の無紀律なる亂暴狼藉到らざる所なく人民の物を掠め家を燒くが如きは尋常の事にして甚だしきは人命を害するも之を咎むるものとてはなく幾萬の兵士は幾萬の強盗にして官許の強盗には民力を以て抵抗するを得ず財〓生命の權利安全は全く地を拂いたりと云うも可なり然るに顧みて占領地の有樣を見れば全く反對にして生命の安全は勿論、私用の如きも毫も犯さるゝことなくして然かも租税免除の恩恵を得たるものさへありと云う彼の人民たるものは自家の境界に比較して安ぞ心を動かさざるを得んや一日も早く日本兵の來るを望んで恰も箪食壺〓して迎へ自から東道の主人と爲りて之を導く〓態なれば我進軍は無人の地を踏むよりも〓く牛荘より山海關、山海關より天津、天津より北京、四百餘州は〓に已に手中の物の如し彼の政府の當局者も此有樣を見て扨は容易ならずと心付き〓素〓〓の我を〓りていよいよ媾和の止む可からざるを悟りたることなる可し抑も日本軍の紀律甚だ嚴重にして兵卒は勿論、軍〓の輩に至るまでも善く命令を守り敵地に入りながら〓〓も犯さず無〓の人民は一人たりとも〓〓たることなく恩を以て彼等を懐けたるは今日に至るまで明白の事實なり近來世間に傳える種々の〓〓の如きは〓か〓にする所ある〓が殊更に斯る説を爲すものにして決して我軍隊の名譽を傷くるに足らず我輩の敢て意に介せざる所なれども開戰以來僅々數月に過ぎずして敵をして自から屈するに至らしめたるものは素より我軍の勇武にして着々戰功を奏したるが爲めなりとは云へ又一つには敵兵の亂暴に引換へ日本軍律の正粛以て敵國一般の人民をして我占領地の有樣を羨む〓を生ぜしめたるが如き彼の當局者の最も心を寒くする所にして遂に覺悟を改めたることなりと推測せざるを得ず左れば我軍隊は今後もますます紀律を嚴にして如何なる塲所を占領し如何なる塲合に際するも他の私有を犯さず無事の人民を殺さざるは勿論、大に恩を施して德に服せしむる心掛肝要なる可し是れぞ即ち敵國を征服する第一の方略にして我目的を達する正當の順路なりと知る可し