「新領地を御するの方針如何(第二)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「新領地を御するの方針如何(第二)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

逸田樓主人稿

前來開陳をしたる支那人は口に仁義を呼ばゝりて仁義を實行せず外〓に利を賤みて内實は〓臭芬々たり本來の性質極めて狡猾なるが故に〓女を以て獣慾を滿足する〓物と心得るの外曾て男女の交際法を知らず遂に男女七歳にして席を同ふせずと云へる〓にも淺ましき〓〓〓〓〓〓に〓人の〓〓へ見るに至れり〓〓言ふ〓と彼の行〓〓とは全く〓反せりこれは支那に在留せしこと四十〓其内十二年は〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

トーマス フランシス ウエード氏が此ほど英國雑誌コンテンポラリー レヴユー紙上に記載せしめし所の文中にも支那官吏の腔中は最も高尚なる教訓の條々を以て滿ちたりと雖も而も尚ほ官金を私用し賄賂を收めて裁判の判決を左右するは孔子の時も今日も同一轍なりと云へり蓋し支那流の仁義論は例へば外面に官吏の清廉熱心を装ふて其俸給を薄くしながら實際の必要よりして賄賂を貪り人民を苦しむるも恬として之を咎る者なし畢竟仁義の體裁に屈托して仁義の實を失ふものなれども斯る外面の虚飾を打破して官吏をして公然たる衣食を得せしむるが如き大英斷は所謂仁義の國に實行す可からざる所のものなり

右の如く徒に仁義五常の空論に屈托して實際に人間處世の道コを忘却し幾千年來の教化も更に其効を奏せざるのみか虚飾虚禮詐偽百端殆んど骨に徹して救ふ可らざる頑固人種の其一部分たる明末の血統を立てゝ仁義の實ある文明制度を採用せしめんなど左る考を抱ける人をして若しも其考の實施に着手せしめなば此人は必ず望洋の歎を免れざる可し例へば文明流義立國の要素たる形態實學の採用も支那人の斷じて爲し能はざる所なり或は大學の中に格物の二字あるを見付出して忽ち得色を催ほし果せる哉孔夫子は物理學を重んぜられたり支那人、器械學を知れりなど云へる説あれども亦是司馬遷の貨殖傳を以て理財學の嚆矢なりとする議論と一般、取るに足らざる迂説のみ天地之道、博也、厚也、高也、明也、悠也、久也と唱ふるが如き近代の實學は左る漠然たるものには非ざるなり又孔孟の道こそは合理的なりと云ふ者あれども元來、支那人は極めて迷深きが故にこそ孔子も怪力亂神を語らずなど力を盡して之を排撃したるなれ然るに憫む可し其孔夫子自らも随分御幣を擔ぐ人にして鳳鳥不至、河不出圖、吾已矣夫と歎息し傷周途不興、感嘉瑞之無應、故因魯春秋、而脩中興教、?筆於獲麟之一句、所感而作、因所以爲終也と云へり又支那人ほど音樂を貴びて音樂を解せざるものはなし禮樂を以て國を治めんとまでに熱心なる其國民は歐米人より聾の人種なりと評されたり(此意味は支那の芝居に行きて銅鑼太鼓の亂調子を聞きたらん者は容易に解し得可し)勿論、禮云禮云、玉帛云乎哉、樂云樂云、鐘鼓云乎哉との云譯はあれども此云譯こそは抑々却て間違ひの本にして宮商角微羽の五音は仁義禮智信の五倫を象り天地人の三才は智仁勇の三コを顕はすなど手當り次第、偶々數さへ同じければ何〓にても聯絡せしめ得可きが如く勝手放題なる牽強附會の説を作し〓には亀の甲を見て吉凶を卜するに至れり中庸に云く至誠之道、可以前知、國家將興、必有禎祥、國家將亡、必有妖〓、見乎蓍龜、動乎四體、禍福將至、善家必先知之、不善必先知之、故至誠如〓を亦是れ李廣が虎を思ふて射りたる至誠の矢は石に中りて鏃を沒し虎を思はずして射りたる二の矢は石に入ること能はざりしと云ふと一般所謂る至誠なる者は何程、清烈なるにも世〓〓〓の願望たるに過ぎず願望を以て事實を構成せんとするも豈その目的を達し得可けんや陰陽五行の空理を談じ易を信ずる等、孔子も亦純然たる個の支那人たるを免れず支那全社會の迷信、人心に入るの深きを知るに足る可し殊に甚だしきは老子が唱へ出せし玄妙幽遠なる道教哲學も支那人の爲めに見事、拙劣なる多神教と化せられたるの一事なり英國オックスフォード大學校の支那語學及文學博士ジェームス レッグ氏が「支那宗教論」の中にも如何なる多神教と雖も之(道教を云ふ)より明瞭、爭ふ可らざるはなく之より怪状なるはなく之ほど詩想又は美相の痕跡だも留めざるものはなし(中略)此教法の本質を成す所の迷信は支那固有の國産物にして太古より存在して成長し來りしものなり(中略)孔子が支那に現はれし時には既に己に數多の奇怪にして拙劣なる迷信の二千年來成長し來りてありしや疑ふ可くも非ずと云へり盖し支那人の手に任せなば如何なる明教も如何なる學理も結局、有名無實の空文と成り果つるの常なり支那人が能く近代の形態實學を容易に解し得て之を應用せんこと思ひも寄らず自から是れ支那人種に固着したる性質なりと知る可し