「容易に和す可らず」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「容易に和す可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

容易に和す可らず

媾和使節もいよいよ渡來のよしに付ては彼の方より何事を申出すや固より圖る可き限りに非ざれども俗に

云へば彼等は恰も買物に來るも同樣にして降參の條件として何か試に持出す可き其條件は頗る手輕にして先

づ此方の顔色を窺ひ是れにても不足其れにても不承知と次第に推問答の進むに從て次第々々に本直を現は

し遂にギリギリ決着に至り斯くまでの條件にて許す可らずとあれば此上は本使節の權限外にして專斷する

を得ず何れ本國政府へ伺の上とて電信の往復するか又は電信にて不行届とあれば兎に角に一應歸國して更

に再渡するか又は其まゝ暫時音信も絶ゆることならん

使節渡來の始末は大凡そ右の如くならんと推察して先づ一囘の談判などにて纏まる可きことに非ざるは我

輩の今より豫言する所なれども戰爭は百年の戰爭に非ず早晩一度は和睦に至る可きことなれば此方に於て

も最終の所望は今より思案して方寸深き處に藏め置き以て他日立言の根據を定むること肝要なる可し今日の

處にて云へば支那政府が朝鮮の獨立を認るなど云ふが如きは由て以て彼れの罪を輕重するに足らざれば是れ

は媾和の條件外として次ぎには償金を拂ふことなり其理由は第一我軍費の實數を償ふ爲めと第二今囘

の戰爭の爲め直接間接に日本の殖産社會を荒らして全國民に輕からざる損害を及ぼしたる其損害を償ふ爲めと

第三彼れが無名無法の師を起して敢て我れに敵したる其謝罪の實を表する爲めにすることなれば金額は決し

て少なからず其多少を計算して適當に定むるは固より政府の機密に存する所にして民間の吾々に於て言論す

可き事柄に非ず又國民の分として謹んで喙を容れずと雖も大數は何干萬兩に非ずして何億を以て計ふるの數

なる可きは我輩の慥に信じて疑はざる所なり又戰に勝て土地を取るは自然の結果にして今更ら事の當否を論

ず可きに非ず目下我軍隊の進入して領し得たる地方を永久我版圖に歸せしむるは勿論尚ほ進軍して占領する

所の地は尺寸も返附す可らず是れぞ紛れもなき日本武士の働を以て手に握りたる槍先の功名なり假令ひ占領

の利益は多からずとするも功名の印は末代に失ふ可らず況んや旅順の要害盛京山東一帶の風土軍用にも

殖産にも共に大利益の目途あるに於てをや或は其占領地の中我れに差したる必要なくして彼れより頻りに所

望することもあらば此方より恰好の地方を指點して交易は可なりとするも謂れなき仁義人情を裝ひ又は局外

の人言を憚りて空しく返附するが如きは我輩の斷じて取らざる所なり

我輩が民間に居て餘處ながら媾和の腹案を概言すれば凡そ右の如くなれども一歩を進めて我國の實利益を謀

り又東洋全面の平和を思へば媾和の時機尚ほ早しと云はざるを得ず(昨日の電報に據れば使節の渡來も或

は中止せんと云ふ果して信ならんには最妙なり)我出兵の數は今日尚ほ未だ十萬に足らずして内に在る軍

人等は脾肉の生ずるに堪へざるのみならず軍籍の數を盡して國民軍の一段に至ることもあらんには眞實の全國

兵にして日本國中の男子老幼病者の外一人として從軍を願はざる者はなかる可し我日本こそ實に世界中

の大軍國にして戰士の不足を知らざる其上に軍資の如何を問へば目下大藏省にて少しく會計の變常を告げたる

樣子なれども民間の資産は依然として舊に異ならずいよいよ軍資の缺乏を告ることもあらんには尚ほ幾億

の公債を募るも立どころに應ずる者ある可し否な事切迫に及ぶときは國民は私産を擧げて國用に供す可し

赤裸も敢て辭せざる所なり既に戰士の勇武あり又國民の報國心に乏しからず今後幾歳月の戰爭を持續する

も毫末の心配なきに引替へ敵國の腐敗は思ひの外の極度に達して之と戰へば勝たざるはなく之を攻れば取

らざるはなし此勢を以て進めば威海衞は勿論天津北京も既に我手中のものにして我戰勝の區域を廣くする

其割合に彼の腐敗氣を拂ふの區域も亦廣く我軍隊は支那の爲め恰も一種の消毒藥に異ならず數千年來彼の

國民の骨に徹したる淫慾の餘毒を一掃して新鮮快活なる文明の空氣を流通せしむるは即ち我日本國の榮譽利

益にして東洋の天地これより始めて眞實の平和に達す可し左れば我輩は今囘の來使に接しても固より和議

の成るを祈らざるに非ず唯これを祈ること切にして東洋全面の長計を思ふが故に輕々和して一時の小康を買

はんよりも事の序に我日本國の大計略を勸告する者なり                 〔一月十七日〕