「支那には敗算もなし」
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時事新報に掲載された「支那には敗算もなし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
支那には敗算もなし
戰爭は此大事を〓行せんとするに當りては先づ勝算なかる可からず之を算する法は實學の原則に從ひ〓の〓弱、敵の多少、時の遲〓を第一に量り又内外百〓の〓〓に〓〓て彼我の形勢を比較し假令ひ自から〓む〓き利ありとするも猶思を百方に馳せて未來の變化〓〓想像し一々これに應ずる工風を蓄へ〓て思慮の及〓〓〓〓に備える地歩を〓らざる可からざるのみならず〓局の後には如何なる經理の方針を執る可きや等思案に思案を〓ね念に念を推して萬々〓〓なきこそ稱して勝算と云うものなれ勝敗は兵家の常とは干〓相接したる〓の〓とにして作戰の大計畫は極めて愼重ならざる可からず甲州流に兵法は國法なりと示す所以も即ち此旨に外ならざるを知る可し然るに彼の支那が我國に對して戰に挑むに當り果して勝算ありしや如何と尋るに啻に之なきのみか奇語を用ふれば敗算も亦なきものと云て可なり〓め朝鮮事變の〓るや支那が乗じて以て多年の慾望を逞うし我勢力を挫かんと試みたるよりして〓に戰爭の發端と爲り當時天兵一たび大〓を動かさば倭奴恐〓爲す所を知らざる可し云々とて烟の如く霧の如く朦朧たる胸中の妄想こそ奮發の發機にして其間に毫も學理上の計畫を許さず力と云いと云い時と云うが如きは渾て心頭に〓まざる上に種々の事〓變化等に至ては更に思設けざる所にして極めて綿密なる可き筈のものを極めて簡單に〓したる天下無類の勝算に〓ぎざりしは事の實〓に徴して疑を容る可からず先ず〓嶋、牙山の一戰にても少しく敏捷なる者は大に悟る所ある可しと思いの外唯漠然として〓〓に新兵を〓し敗卒を集めなどして金城湯池大盤石と頼み居りしに何ぞ圖らん二日ならざるに〓蕩せられて戰〓〓に〓軍を去りたりとは萬人の認むる所なるにも拘わらず猶我軍を九〓城に〓めて〓むること能わず鳳凰城に支えて支えること能わず宗廟の所在地たる奉天府の安危も殆んど旦夕に〓ると雖も曾て戰〓をだに知らざるものゝ如く殊に黄海の海戰に於て其手足を傷つけられ所詮叶わざるを認めながら口は飽までも〓者にして罵詈雜言の聲を絶たず〓にして我第二軍が何の苦もなく金州に上陸して堅固無双と聞えたる旅順口を一擧に陷いれたるが如きは正しく咽喉を押え付けたると同樣にして全く死命を制せられたれども之に處する〓心は頗る緩慢遲鈍にして恰も危急を危急とせざるが如く前にはデトリングの如き路傍の一閑人を頼みて我軍の手を弛めんと企だて後には張蔭桓を〓わして漠然和睦を議せんと試むるなど〓として自家の境遇如何を顧みざる其趣は〓して胸中に豫算ある者の爲す可き所にあらず今や威海衛の略取と共に北洋艦隊も亦滅亡したる上は支那帝國は殆んど無能無力の動物に等しく之と戰うは唯これを〓うのみにして最早や戰爭として見る可からざるや明白なるに彼れ將た如何に今後に處置せんとするや抑も北洋艦隊の滅亡は陸上の砲薹を略取せられたる時に於て〓に〓定したるにはあらで〓く黄海の海戰に於て了知するに足る可く威海衛の略取せらる可きは我軍の上陸を俟たずして〓に旅順口没落の日に知られ又斯く咽喉を押えらるべしとは曩に屡々その手足を痛〓せられたる時に於て早く覺悟を定むるに餘りあることなれば苟も敗算ある者ならば〓して此惨〓に陷いることなかる可きは勿論今日は〓に時機に後れたるにせよ猶命脈の存する限りは〓に死を〓るゝ手段こそ肝要なる可しと雖も彼の政府を喩えれば猶〓〓患者の如きものにして病の〓めて足端に發したるに〓〓早く之を切斷して無事を謀る可きに愚〓の悲しさ等〓を付して〓に〓部に〓も〓〓指一本に〓〓む可きものを下脚に至ても切ること能わず全脚に至るも猶〓せずして〓しく死を待つものに似たり扨これより後は我軍の向う所縱横自在にして豫て期したる如く北京城下の盟をなさしむるも亦〓きに非ざる可き歟なれども〓記の如く腐敗混亂を極めて勝算は愚か敗算もなき支那政府にては其腦〓を砕かれても猶活けるが如し死せるが如くにして最下等動物と同樣苟も打撃を加えられざる部分は時々〓動して生色を呈し結局四百餘州の山河草木を割裂せざる限りは埒明かざるか或は一旦城下の盟をなさしめても之を實行するに當りては迚も約束の常規に從う可からずして猶痴人を對手に貸金の〓濟を催促するが如く止むを得ず強制執行に及ばんとするも家内の財産は主人の所有なるや隣家の物品なるやも分からずして殆んど手の付け樣もなき怪絶呆〓す可からざる次第にして我國人は今後宜しく支那を品するに朝鮮よりも更に甚だしきものあるを覺悟して之に處する成算を算せざる可からず我輩は事〓に當り日本と支那との強〓優劣に付て窃に豫測する所ありしかども斯迄に懸隔ある可しとは聊か豫測の外に出でたる所にして蓋し我勝算中の一失ならんと自から一笑を催ほす者なり