「内亂の心配も無用なり」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「内亂の心配も無用なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

内亂の心配も無用なり

日本は海陸〓捷の勢に乗じて長〓直ちに北京を衝き〓までも〓力を挫きて飽までも〓むることならん〓廷の〓〓〓雜想い〓らるゝ〓りにして正に是れ支那流の内地に侵入するは支那をして内亂の渦中に陷いらしむるものなり群雄割據内外入り亂れて敵味方の差別なく盲打の有樣となることもあらば夫れこそ〓商列國の利害の上に容易ならざる大變なりとて是亦外國人が杞憂とする所の一なるが如し我輩は其心配も亦無用なるを〓明せんに若しも支那に果して豪傑なる者ありて野心を抱き〓〓を〓むものとせば何故に今日に至るまで敢て發せざるや日〓の間に事を構えたるは昨年の六月にして爾來〓に十箇月その間、〓軍は曾て一度も勝を得たることゝてはなく〓戰〓敗散々の體にして爲めに或は糧食を徴發し或は兵士を募集する等嚴罰を設け厚賞を懸けて苦心〓〓周旋到らざるなき實〓なれば其無力無能にして是れまで〓大に装いたる〓朝も全く洞蘆の大木に〓ぎざりしとの事實は〓朝自から之を布告して〓に〓に四百餘州の隅々までも知れ渡りたる筈なり假令敗を〓りて勝を報ずるは彼政府の常例なるにもせよ苟も大望を包蔵して朝廷の蘆を付け狙う者が何とて其裏面の〓態を詳にせば何とて〓らざることあらんや開戰の初に當りては我輩も窃に彼國の内亂を思わざるにあらず李鴻章が何の〓算もなく輕卒に我に向て戰を挑みたれども〓軍果して勝てば善し若しも大敗を取るに於ては其劣〓を見〓かされて却て内亂を思う者の乗ずる所となり脚下に火〓る懸念も〓り難ければ大抵勝敗を見定めたる所にて其未だ大失躰を暴露せざるに先立ち早くも和議を〓うことならん夫れとも李鴻章自から老餘の勇を鼓して現政府を取て代る意氣あるやなど種々に臆測を下せしが負ても負ても曾て内亂の沙汰なく李も亦老衰の實相を呈して唯その現〓を保守するに急なるのみ共に語るに足らざるが如し斯くても尚ほ豪傑輩の時機を窺う者ありとせば其輩は時機を待つには非ずして徒に時機を〓らしむるのみ如何となれば今にも和議を講じて戰爭の局を結ぶときは〓に發動すること能わざるに至る可ければなり抑も内亂と云い革命と云うは國の凶事に相〓なけれども一方より之を〓れば亦聊か慶す可きものなきにあらず人文大に發〓して政府の改良これに伴わざるか或は氣力旺盛なる英雄豪傑ありて野心勃々禁ずる能わざる等の時台に際してこそ始めて政府を〓〓して自から國政を料理せんと企つるなれ即ち其内實に於て頼母しき〓勢力の存在するを證するに足れども支那今日の實際は毎度新聞紙上にも〓ゆる〓り殆んど腐敗の極に〓して上下ともに〓め〓〓〓〓へるが〓く又〓れ〓か如く〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓は〓〓〓〓〓〓〓如何故にて〓〓〓〓〓〓〓〓〓れば〓〓〓〓〓〓〓〓相〓せ〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓の要〓〓〓〓〓〓し一朝一夕の〓〓〓〓〓〓し左ればこそ〓には長〓〓等の〓るあ〓て稍々活氣の見る可きものありしが今や現に我軍の占領せる各地に於ても昨日までは敵と目指し倭奴と罵りたる其口舌を翻へして我が爲めに頼みもせざる勞を執り單食〓〓して〓從輕薄を事とするとは日本軍隊の仁慈に由るにもせよ實に見下げ果てたる根生と云わざるを得ず是れは一地方の談のみならず四百餘州全部の見本とも云う可き醜態にして斯る種族の心底には〓して内亂革命等の奮發力を含蓄せざること我輩の保證して疑わざる所なり支那には内亂を〓す機會なきにあらず唯これを〓す氣力ありと假定するも内亂を企つる程の者ならば此際大に顧慮する所なかる可からず先年劉永〓が黒旗軍を〓して爲す所あらんとせしが中〓にして佛蘭西と衝突し爲めに其志を變じて今は現政府の爲めに南方の軍職を守りて〓々たる事例もあり且つ〓來の世〓に徴すればいよいよ以て内亂の蜂〓は即ち諸外國の蹂躙を招く所以にして偶々夷〓をして慾を逞ふせしめ其身は陳渉、呉廣の轍を踏みて虻蜂取らずの末路を見る可しとは少しく眼識ある者の氣付かざる筈なかる可し之を要するに支那人を惰〓としても又氣力ありとしても共に今日は内亂を企つる者にあらず外國人等の心配を要せざる所にして寧ろ我軍の力に〓りて目の醒むる迄に彼を打撃し一日も早く恐縮して降を乞わしむるは是れぞ眞に東洋の平和を維持し列國の〓商を〓むる所以と知る可きものなり