「臨時檢疫所の設置」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「臨時檢疫所の設置」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

臨時檢疫所の設置

今回陸軍省に於ては臨時檢疫所を門司、仁嶋、天保山、小樽の四箇所に設け經費凡そ百萬圓の豫算を以て蒸汽器械其他一切の組織を始めとし檢疫消毒法に充分完全なる方法を備へて今後戰地より歸航する何十萬の軍人軍夫に悉く嚴重なる檢疫を施し衣服携帶品には蒸汽消毒の法を行ひ惡疫の病毒をして一歩も内地に侵入せしめざるの計畫にて目下頻りに其準備を急ぎ來る六月下旬より實施に着手する都合なりと云ふ誠に一大美擧にして我輩の飽までも賛成して止まざる所なり抑も戰爭の終りたる後國内に惡疫を傳播して非常の慘毒を逞ふせしめたるの事實は世界古今の歴史に其例少からず畢竟何れの時代何れの邦國に於ても未だ嘗て完全なる豫防の道を知るものなく隨て充分なる組織を設けて専ら力を盡すことを得ず只僅かに尋常一樣の方法を行ふたるに過ぎざるが故に激烈なる病毒を防ぐの効を奏すること能はざりしは固より怪しむに足らず喩へば戰爭を爲すに當りて豫め敵の力を量らず其性質をも極めずして槍を禦ぐに板を以てし火を防ぐに藁を以てするが如きことあらば到底敵の鋒を挫くに足らず况んや目にも視えず手にも觸れざる病毒を防ぐには只一定の學理原則に依るの外如何なる方法手段もあるべきにあらず其原理性質及び其豫防の方法こそ從來世界の知らんと欲して尚ほ未だ發見し得ざる所のものなりしに然るに近來我邦に於ては醫學の進歩非常にして就中黴菌の研究は最も其精微を極め遂に蒸汽消毒法に更に一層の工風を加へて特殊の良法を發明し今や我凱旋の軍隊に對して之を實施せんとするに至りたることなり果して此學理上の一大發明を實際に經驗して其効空しからざるに於ては啻に文明諸國に對して誇るに足るのみか世界をして正に其偉功を感謝せしむるに足るべし我輩の一大美擧として大に稱賛する所以なり且つ又文明の師は單に戰勝を以て唯一の目的とするものに非ず一旦凱歌を奏して軍隊を内地に引揚ぐるや忽ち恐るべき慘毒を流して幾萬の生霊を傷ふが如きことあらば其結果たる即ち戰塲に於て多くの兵士を失ひたると同樣にして圓滿なる終局の勝利を全ふする所以にあらざるのみか其慘酷寧ろ甚だしきものある可し幸にも醫學の進歩能く大成の効を奏して稀代の發明を成し遂げ今回臨時檢疫所を設置するに至りたるは是れぞ文明の聲譽を發揚すると同時に國家の禍害を豫防する一擧兩得の大事業にして實に古今未聞の美擧と云ふ可し左れば其費用の如きは百萬圓は愚か二百萬圓にても三百萬圓にても苟も必要とあれば毫頭支出を愛しまずして出來得る限り力を盡し首尾好く好結果を奏して偉大の實例を世界に示さんと我輩の切に希望する所なり