「太平洋の海底電線」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「太平洋の海底電線」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

太平洋の海底電線

近着米國新聞の報ずる所に據れば過般布哇政府は同國より米國の西岸に達する海底電線を敷設し及び之を營業するの權を英國の某會社に許さんと欲し先づ合衆國政府の同意を求め來りしかば(布哇政府が米國の同意を求めしは兩國間に特別の定約あるが爲めなり)大統領クリーヴランドは自分は此計畫に賛成すとの旨を附記して右請求書を上院に廻送したりし處上院にては斯る有利なる事業を英國人の手に委るは甚だ不得策なりとて更に米國政府をして自から電線敷設の事を引受けしめ其入費として取敢ず五十萬弗を國庫より支出す可しとの法案を議決したり(右海底電線の豫算は三百萬弗なり)然るに該法案の下院に提出せらるゝや同院にては此種の事業は政府の自から爲す可き所にあらず故に之を私立會社の營業として政府より若干の保護金を附與する位の事に止む可しとの議論盛にして是れが爲めに先に上院を通過したる議案は空しく廢棄せられたり然れども右に記したる如く上下兩院ともに布哇に海底電線を敷設する其事抦に對して異存あるに非ざれば多分次回の開期には何とか折合附きて滿足なる結果を見ることならんと云ふ扨て我輩は此報知に接して茲に日本政府に向て望む所のものありと申すは即ち我日本の資金を以て速に横濱より布哇に到る海底電線を敷設し右米國線と聯絡せしむるの一事なり米國と日本との貿易交通は近來益す盛にして從て兩國間の電信往復は日に益す頻繁を加へつゝあり又布哇には三五年來日本人の移住出稼大に流行して今や我邦人は同國居留民中にて最も多數の人種と爲りたれば該嶋と日本との通信も今般非常に繁忙を致す可きは多言を俟たずして明なり然も而して目下の處、布哇と日本との間には電線なるものなければ都ての通信は毎月一二回の航海する汽船の便に託するの外なく又横濱より桑港に打電するには亞細亞、欧羅巴の二大陸を通過して大西洋を渡り米國を横斷して始めて其西岸に達するものにして殆んど地球を一週せざる可らず左れば途中各處に於て受次の爲め電報の遅延するは勿論電信料の如きも法外に高價にして其不便云はん方なし目下横濱、桑港の電信到着時間は平均凡そ十五時間にして電信料は一語に付金貨二弗三十三仙なれども若しも太平洋線にして敷設せらるゝときは時間、料金ともに現在の四分一若しくば五分一以下に低減すること敢て難きにあらざる可し横濱よりホノルヽ港までの距離は凡そ三千四百哩なれば海底電線の敷設費を一浬千二百弗(即ち二千四百圓)と見積りて總〓の費額八百餘萬圓に過ぎず日本國の現状に照して決して過大の支出と云ふ可らず又其營業上の利益は如何ある可きかと云ふに固より確かに保證す可き限にあらざれども大西洋に於ける海底電線の例を以て〓せば或は大に利益の望なきにあらず今日まで大西洋に電線を敷設したる總數は十九線にして其中四線は全く失敗に歸し殘り十五線は今尚ほ盛に使用せられつゝあり之を所有する會社は何れも相應の利益あらざるものなしと云へば今日太平洋に一線を敷設したりとて使用者の乏しきが爲めに收支相償はざるが如き恐は先づ以てなかる可しと我輩の竊に信ずる所なり但し我輩は前記の如く米國人がカリフォルニヤより布哇まで電線を敷設するならんと假定して即ち我國に於ては布哇以西の線を引受け米國線と聯絡す可しとの次第を述べたるなれども萬一にも合衆國の國會に異論再起して到底電線議案の成立つ可き見込なきに於ては我國は最早猶豫することなく日本の獨力を以て日米間の全線を敷設することに決し其準備に取掛りて可なり兎に角に我輩は次の議會に太平洋電線法案の提出せられんことを切望して已まざる者なり