「東京市中の電氣鐡道」
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時事新報に掲載された「東京市中の電氣鐡道」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
東京市中の電氣鐡道
東京の人口は今日百何十萬に過ぎざれども其面積より云ふときは世界に稀なる大都會にして倫敦を除くの外歐米諸大國の首府と比較して勝るとも劣ることなし西洋人の説に東京は一大都會と稱するよりも寧ろ數小都會の集合と稱する方適當なりと云ふ者ある程の次第にして其面積の廣漠たるに隨て市内の往來交通に時を要すること實に甚だしく人事いよいよ繁多にして其不便いよいよ著しきは東京人の常に訴ふる所なり然るに目下の處、新橋を發して上野、浅草に達する僅々數十丁の馬車鐡道の外に整頓せる運輸の方法とては更になく市中の各處に往來せんとする者は特に自から馬車人力車を雇ふか然らざれば徒歩するの一方あるのみ左れば塲合に由りては單に一市内一度の往來に一時間乃至二時間を要することさへあり人口次第に增殖して往來交通日に益す盛ならんとするの今日、須臾も看過す可らざる一大不都合にして若しも之を此まゝに打棄て置くときは今後首府の繁昌に容易ならざる影響を及ぼすは鏡に懸けて見るが如し然らば則ち如何にして此不便利を除き東京をして四通八達往來自由の大都會たらしめんかと云ふに我輩の所見を以てすれば何處とも云はず市中到る處に盛に電氣鐡道を敷設するこそ最近最良の方策なりと斷言する者なり抑も電氣鐡道なるものは極めて近來の新發明にして其本家本元とも云ふ可き北米合衆國に於てすら始めて之を實用に供せしは僅かに十年前なれども(千八百八十四年オハヨ州クリーヴランド市にて試驗の爲め電氣鐡道を敷き客車一輌を運轉したるを以て嚆矢とす)爾來非常なる進歩を現はし今は合衆國内に千餘の電氣鐡道ありて其總哩數は實に一萬哩に達し諸會社の資本を合すれば凡そ金貨六億弗なりと云ふ電氣鐡道が斯の如き盛况を現はしたる所以のものは畢竟するに經費少なくして得る所の便利多きが爲めのみ其馬車鐡道に比較して遙に利益なるは實際の經驗に由て最早や疑ふ可らざる事實と爲りたれば合衆國は全く馬車鐡道の跡を絶つも盖し二三年を出でざるならん右の如き次第なれば我東京市民も徒に米國人の爲す所を傍觀することなく速に現在の馬車鐡道を電氣に改め又盛に新線路を市内に敷設して以て東京をして一の完全な商業都會と爲すの方針を取らんこと我輩の呉々も勸告する所なり或は電氣鐡道にして盛に敷設せらるゝときは現在の電話線(單線式)に影響を及ぼて談話を妨ぐるの恐ありとの説もあるよしなれども是れは電氣鐡道の罪にあらずして寧ろ電話線の罪なり何となれば電話の單線式を止めて複線式を採るときは此困難は忽ち消滅す可しとは電氣學者の固く保證する所なればなり談話妨害云々の説の如きは誠に兒戯に等しき苦情にして我輩は斯る異論を唱へて文明の事業を妨げんとする者の爲めに其心事の狭小にして其學理に暗きを悲しむのみ