「清國の爲めに悲しむ」
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時事新報に掲載された「清國の爲めに悲しむ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
清國の爲めに悲しむ
過般李鴻章が請和使節として我國に來りし當時に於て清國政府が一方には日本に對して頻りに和議を請ひながら一方には竊に外國に泣付て日清事件に干渉せんことを求めたるの風説は端なく世間に傳へられたりき或は平和條約の調印後に至りて突然發生したる外交上の風雲は双方合點の上に出でたるものにして李が平和の條件に就て甚だしき苦情も唱へず案外速に我指命に伏したるは豫め今日あるを期したるが爲めに外ならずとの説あれども斷じて信ず可らず外交の手段は虚々實々他を欺くが如きは平氣なりと云ふと雖も今回の塲合に豫め其手筈を申合せ彼の敗餘の衰老國をして談判上に巧を弄せしむるが如きは實際無益の勞にして單に他の恨を深からしむるに過ぎず外交に老練なるものゝ決して爲さゞる所なれば申合せ云々の説の如き我輩に於ては斷じて之を取らず實際は各自別々に運動しながら恰も申合せたるが如き結果を見たるに相違なかる可しと雖も開戰の初より清國が外國に對して干渉を請願したるは疑ふ可らざる事實にして我輩は明に之を認むると同時に餘所ながら請願者の爲めに無限の失計を悲しむものなり其次第を語らんに條約の本文は既に兩國の妥協を經て批准交換の手續を終りたるにも拘はらず或は我國にては戰勝の結果を悉く收めず多少の斟酌を加へて更に附加條約を見るが如き成行あるやも圖る可らず果して然らんには甚だ遺憾の次第なれども此事たる清國に對する恩惠的の譲與にして我國の隨意に出でたるものなれば他日に至りて如何なる事態を生ずるも其關係は單に兩國間の事にして決して他國の干渉を許す可らず目下の不愉快は兎も角も之が爲めに後難を遺すの掛念は萬々これなしと雖も彼の清國が外國の干渉を求めたる擧動は實に愚の極にして自から求めて禍の種を蒔きたるものと云ふ可し抑も西洋の諸國が自國の利害を口實として動もすれば東洋の國事に干渉せんとするは年來の事實にして最も警しむ可きものなれば其干渉を避けて自國の面目利益を全ふするの一事は吾々東洋國の常に注意す可き所なり今回の戰爭に就ても開戰以來和が當局者の最も苦労盡力したるは只他の干渉を避くるの一事のみなりしが遂に格別の故障をも見ずして媾和談判を開くに至りしは東洋全體の爲めに此上もなき仕合なるに彼の清國の當局者等が眼前の小苦痛を免るゝが爲めに永遠の大利害を忘れて自から外國の干渉を哀願したる其愚は實に及ぶ可らず我輩の只驚く所なり〓りに其哀願の結果として偶然にも外國の勢力に依り戰敗國として正當に負擔す可き重荷を多少にても輕減したりとせんか眼前の苦痛は幾分か緩和したるがごとくなれども彼の外國は自から益する所なくして他國の爲めに力を致すものに非ず殊に東洋の國事に干渉の端を開て他日の地歩を爲さんとするものに在りては清國の哀願は恰も渡りに舟の好都合にこそあれば彼等は自家の利益の爲めに喜んで運動しながら其運動の表面は他の爲めにするものゝ如くにして清國に取ては目下の難を救はれたる大恩人なるが故に自から之に酬ゆる所なきを得ざるは勿論、或は今回は別に授受の事なしとするも他日に至りて恩人の求めとあれば容易に拒む可らず然るに其恩人は獨り陰德を施して自から喜ぶが如き漠然たる道德家に非ず目下の運動は他日の陽報を得んが爲めにして其求むる所は必ず大なるものある可し今後清國が數年を出でず外國との交渉を生じて獨立の運命を危くするに至るは必然の成行にして今回の哀願こそ亡國の先驅なれ彼の李鴻章の如き多少は事理に通じたる人物にてありながら斯る睹易き道理を解せずして單に目前の姑息を謀るとは實に呆れ果てたる次第と云ふ可し然りと雖も隣國の幸不幸は隣國の事なり唯吾々は日本國民として百折不撓、如何なる不愉快を咸じ如何なる辛苦を嘗むることあるも進んで國權を皇張して一歩も退かざるの覺悟あるのみ