「英國と新日本(日英同盟論)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「英國と新日本(日英同盟論)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

左の一編は去る五月刊行の英國兵事雜誌ユーナイテッド セルヴ■(小書き「ヰ」)ス マガジーンに載せたるダブリユーエーチ ウヰルソン氏の論説なり日英同盟の問題に關する英國人の説として頗る見る可きの價あれば其大意を譯して社説に代ふ

平和定約既に調ひて日本が世界の一強國たる新位置を得たるに就ては東洋に於ける此大變動の結果を考究するは盖し無益の事にあらざる可し凡そ十九世紀に起りたる出來事にして日本國の勃興の如く迅速に意外に又た面白き事■(てへん+「丙」)はある可らず僅に五十年以前には日本は人に知られざる野蠻未開の人民(英國の眼より見て)なりしに今は則ち彼れは世界の強國と爲り了りて今後露西亞、佛蘭西、英吉利が支那を分割する塲合には必ず勘定の中に入れらる可き一個の勢力として認めらるるに至れり

日本の海軍は勝誇りたる勢頗る猛烈なる其上に支那の艦隊を吸收したるが爲めに大に其實力を増加したり又彼れは大なる戰闘艦二隻を英國に注文し目下エルスウヰツク及びテームスにて製造最中なり此外に日本の造船所にても二隻の強力なる巡洋艦を製造しつつあり是等の船艦にして愈愈出來上りたる曉には日本の海軍は中中油斷し難き大勢力と爲るは必然にして世界各國の中に之に勝る海軍を有する者は英、佛、露、伊、獨及び北米合衆國の六國のみ即ち日本は世界第七の海軍國と爲るものなり日本政府は其海軍を維持する爲めに横須賀及び小野濱の二箇所に造船塲を所有せり横須賀には如何なる修繕を爲すにも差支なき大船渠及び機械を備へ且つ是れまで同所にて製造したる大なる巡洋艦の數少なからず小野濱の造船所は規模大ならず僅に砲艦製造の用に供するのみ日本にて重なる造船所の船渠の容積は左の如し

塲  所    長    幅   深

横須賀(第一) 三九二呎 八二呎 二二呎

同  (第二) 五〇二呎 九四呎 二八呎

同  (第三) 三〇八呎 四五呎 一七呎

東京      二二〇呎 四二呎 一四呎

長崎      四一一呎 八九呎 二五呎

大坂      二五〇呎 三三呎 一四呎

右の外に三個の傾斜船渠あり最大なるものは二千噸の船體を容るるに足り他は六百噸及び九百噸の容積なり若しも日本が旅順口を割領することとならば前記の表に尚ほ四百呎の船渠一個と凡そ二百五十呎のもの一個とを加へざる可らず又た東洋に於ける日本、露西亞及び英吉利の海軍力を比較すれば左の如し

英國    露國    日本

一等戰闘艦   一     |     |

二等戰闘艦   |     |     一

其他戰闘艦   |     二     四

甲裝巡洋艦   一     四     一

一等巡洋艦   二     |     三

二等巡洋艦   四     一     二

三等巡洋艦   四     一     二

水雷砲艦    |     二     一

水 雷 艇   |     四(?) 四〇

其他船艦   一四     七    一三

〓 計   二六    二一    六九

右三國の艦隊中最も強き者は恐らくは日本なる可し何となれば日本軍艦の大なるもの十餘隻は悉く大口徑の速射砲を備ふれども英、露の軍艦には其備なきもの多ければなり日本の弱點は甲裝艦の少なきことなれども此一點に至ては露西亞も別段に優れたりとは思はれず如何となれば彼の所謂戰闘艦二隻は唯これ甲裝したる砲艦に過ぎず又四隻の甲裝巡洋艦なるものも強大なる軍艦には相違なしと雖も甲裝鐵は水際の一局部を掩ふのみなればなり英國の艦隊にはセンチユリオンなる甚だ強大の戦艦あり又其外に二隻の美事なる巡洋艦ありと雖も單に船の數及び力より云ふときは日本と戰ふて必勝を期す可らず露西亞と日本と戰ふときは勝利は日本に在りと云はざるを得ず何となれば日本の艦隊は露の艦隊よりも強き其上に彼は大なる船渠及び造船所をば手近に控へ居れども露國の浦鹽斯徳は根據地として萬般の凖備頗る不整頓なればなり

日本の陸軍も亦海軍に劣らず甚だ強大なりノルマン氏の近著極東に掲げたる表に據れば日本陸兵の總數は現役、豫備、後備を併せて廿七萬餘人にして是等の兵士は不規律、不訓練の徴發兵にあらず何れも歐洲諸國の兵に劣らざる教育を受け西洋式の戰術に熟練し最近最良の銃器を帶びたる其上に實際の戰爭に非常なる忍耐力と最も強情なる勇氣とを現はして世界の耳目を驚かしたる者共なり

世間或は尚ほ日本人の實力を疑ひ彼等は怯弱無類の支那兵と戰ひたればこそ斯く容易に勝利を得たるなれ日清戰爭の結果を見て漫に日本兵士の勇武を稱揚するは大早計なり兎に角に彼れが歐洲の兵士と戰塲に出會したる其時に於て始めて日本の實力如何を知ることを得べし云云の説を爲す者あり一應尤もなる説の如くなれども吾人の所見を以てすれば日本兵は歐洲の兵を相手にするも决して後れを取る者に非ずと信ずるなり此事を明にする爲めには過般の戰爭に際して日本軍隊の採りたる作戰方法及び其結果を吟味考究するの外に路なかる可し先づ第一に日本海軍の爲したる所を見る可し彼等の艦隊に屬する吉野、橋立の如き軍艦は造船術上極めて繁雜なる標本にして船内に備附けある器械の如きも頗る込入りたる上に其種類甚だ多く之を使用するに尋常ならざる熟練と注意とを要するは勿論なり然るに黄海の戰に日本の士官は最も巧に此類の船を運轉し砲烟天に漲り乾坤潰裂せんとする大混雜の最中に肅然秩序を亂さず各艦皆能く其位置を守り信號に應じて進退掛引したる其手際の美事なるは稱賛するに餘りあり是れぞ全く平素の規律訓練宜しきを得たるが爲めにして歐洲の何れの國の艦隊にても日本艦隊が黄海の戰に成遂げたる丈の事を爲して榮譽とせざる者はなかる可し之に反して同じ戰に支那艦隊の擧動は實に不都合千萬にして例へば致遠は命令に背て自から衝突を試み、平遠は故なく戰列を離れ、揚威と超勇とは各自の位置に就く能はず、濟遠は卑怯にも逃走を企て其途中に揚威と衝突して之を破壞するなど其混雜狼狽の有樣は殆んど名状す可らず日清兩艦隊の擧動に斯の如き大相違あるを見るときは吾人は乘組水兵及び將校の勇氣伎倆に於て二者の間に必ず非常の懸隔ある可しと想像せざるを得ず之を要するに黄海の役に於ける日本艦隊の働は歐洲の如何なる艦隊と雖も超過する能はざる所なりと云て可なり

陸上に於ても日本人の武功は更に劣る所なし彼等の軍隊は財を盜み家を燒き人を殺すことを以て目的とする野蠻兵にあらざるのみか自から己を制し敵に對して〓を加ふるの一段に至ては歐洲の軍隊に比較して一歩も讓らざる文明軍なることは吾人の親しく實驗したる所なり盖し旅順港に於て彼等は一時慘虐を恣にしたれども之は殘酷極まる支那人の處置に激せられて施したる復讐の所爲にして聊か恕す可きの情なきに非ず思ふに歐洲の軍隊とても同樣の塲合に遭遇せば必ず日本人と同樣の處置に出るならん現に英國人が印度に於て働きたる暴行は旅順に於ける日本人の所行に比して毫も異同ある所を見ず支那人の慘忍にして詐僞を事とするは亞非汗人と同樣なるにも拘はらず日本の兵士は之を相手にして常に仁惠を施し出來る限り其生命を保護したり又日本の兵站部は實に驚く可き程よく整頓し軍隊の給養に欠乏を告げたること嘗てなし先年アビシニヤ征伐の際英國の兵站部が極めて僅少の人數を充分に給養すること能はざりし事實を想起すときは吾吾英人は日本人に對して聊か赤面せざるを得ず又日本の將校は眞實軍隊を支配するの能力に乏しからず其作戰計畫の如き大に見る可きものあり彼等は常に敵を撃つ可き處に撃ち曾て機會を空しくしたることなしモルトケ將軍と雖も恐らくは日本の今回の作戰計畫に勝るの名案妙計を工風することは出來ざりしならん其他實際の戰闘に至ては吾人は未だ日本兵の眞價を知るに由なし何となれば支那兵は常に逃走し一回も強情に抵抗したることなければなり

日本兵の勇氣に富めることに就ては今更ら一點の疑ある可らず銃丸に其身を打拔かれたる喇叭卒が死に至るまで進軍喇叭を吹て已まざりしとの哀れなる話、及び同人の父なる一農夫が其子の死を聞て「彼れは國の爲めに死したる者なれば余は悲しまずして却て悦ぶ者なり」と述べたる其演説は共によく日本人民全體の氣象を表はすものなり凡そ東洋諸國の歴史に日本兵の如く勇武なる軍隊の存在せし例は曾てなし吾人の所見を以てすれば日本兵は教育の點に於ても訓練の點に於ても又愛國心に富める點に於ても露西亞人と比較して勝るとも劣ることなきは明なれば彼の土兒格人がプレヴナに於て露西亞人を撃破りたるが如くに日本も亦た其北方の大國を打惱ますは強ち難きにあらざる可しと信ずる者なり兎に角に亞細亞人種は其性質よりして劣等の人種なりとも妄想は日本の爲めに全く顛覆せられたり而して亞細亞人種が斯く俄に勢力を加へたるは主として彼等が東洋の舊慣を脱して歐洲の文明を採用したるが爲めなれば今後萬一にも歐洲が亞細亞人種の爲めに侵略せらるることありとするも敵の軍隊は决して亂暴無規律の野蠻兵に非ざる丈けは明なり此點に就ては歐洲人は須らく安心して可なり盖し東洋に幾多の新ジエン ジス カンを出すとも歐洲の爲めには更に恐るるに足らざれども獨り山縣將軍の一派に至ては眞に恐る可き強敵として記憶す可き者なり

以上記述したる如く今日太平洋には日本と名くる一大強國あり此強國の向背如何に由ては或は歐洲列國の運命を一變せしむることを得べし彼は支那海の全權を握り其位置は軍略上より云ふも商賣上より云ふも殆んど〓〓なし彼は英國と事變り自から己を支ふるの力あるを以て假令ひ其艦隊にして全滅するとも國民は〓〓が爲め〓〓〓に迫るが如きことある可らず日本の國勢は英國と同じく一方には大洋あり一方には大陸あり而して南には佛蘭西なくして其代りに無數の豊穰なる嶋嶼あり是等の嶋嶼は日本の意見次第にて何時にても自家の所有と爲すことを得べし何となれば和蘭と云ひ西班牙と云ひ共に日本の領海に於て日本と戰ふの力なければなり唯日本には一個の危險なる敵あり浦鹽斯徳に於ける露西亞即ち是れなり

此際に當り我英國は日本に對して果して如何なる方針を取る可きか既往の事蹟を糺し又將來の形勢を察するに彼の利害は即ち我れの利害にして彼の敵は即ち我れの敵なり吾人は如何なる點に於ても日英兩國の互に衝突す可き理由を見ること能はず若しも日本人民の調子にして目下少しく英國に反對の氣味あらんか是れ全く英人の自から招く所のみ幸にして今日までの處にては大なる間違もなくして濟みたれども此際英人たる者は殊に注意して自家の利害の在る所を察するに非ざれば他日噬臍の悔を免る可らず目下吾人の最も危險なりとする所のものは即ち世間に評判高き英露親交云云の説なり今日に當て英露兩國が睦く相交はらんとするは恰も熊と羊と同居して樂まんとするものに異ならず英國の羊は餘程よく注意して自から衛るに非ざれば如何なる災害に遭ふやも知る可らず恐る可きことなり吾人の見る所にして違ふことなくんば露西亞が英國と親交せんと欲するの主意は彼れ一國の力にては到底日本の意に逆ふて東亞細亞の土地を略取すること能はざるが故に英國艦隊の力を利用して以て此目的を達せんと欲する者に外ならざる可し英國は既に世界中到る處に有り餘るほど土地を所有するを以て最早や此上に自から東亞の地を略取するの必要なしと雖も露西亞が自から土地を得んが爲めに我英國を道具として利用せんとするに至ては吾吾は彼に向て嚴しく其理由を詰問せざる可らず露西亞は近來英國に對して親密の風を裝へども其内心には痛く我れを嫌忌して敵對の情を挾むに相違なき其證據は彼國新聞紙の論調を少しく吟味すれば明白に發見するを得べし何となれば露國新聞紙の記事論説は都て皆政府の檢閲を經るの規定なるが故に其紙上に現はるる所のものは即ち政府の意見なりと認めて差支なければなり然るに近來ノヴオー ヴレミア及びモスコヤ ヴヰデモスチの兩新聞共に英國を罵詈して止まず互に其攻撃の他よりも緩ならんことを唯是れ恐るるものの如し左れば今日英國が露西亞と相提携して共に東洋の事を處理せんなどとは到底云ふ可くして行ふ可らざる空想にして一國の政策としては拙の最も拙なるものと云はざるを得ず此際に當り若しも英國が躊躇决せざる間に日本と露佛二國と互に相結托することもあらんには其れこそ英國の爲めには由由しき一大事にして我支那艦隊の安危は兎も角もとするも香港、シンガポール及び濠洲の殖民地は之を如何にす可きや思ふて爰に到れば實に悚然たらざるを得ず

右の如き次第なれば英國が日本の味方と爲りて其權〓利益を支持することに决心するは正に目下の〓〓にあらずや日本にして我同盟國と爲らば英國は常に支那海に大艦隊を派遣し置くの必要なきに至る可し其結果をして一等戰闘艦一隻と巡洋艦數隻とを利することもあらんには唯其一事の爲めにも日本と同盟するは得策なり况んや日本を味方とするときは亞細亞大陸に於ける我利益を守護するに當ても非常の便利あるに於てをや盖し露西亞にして若しも支那領土兒格斯担及び西藏の東部を占領するときは彼は次に印度に向て攻撃を試みんと欲するならんなれども其時に當り日本の爲めに大平洋に面する自家の領土を取らるるの恐あるときは必ず敢て其計畫を實施せざる可し又日本の船隊は〓〓に於ける佛國の運動を制禦するの力としても効能少なからざる可し又佛蘭西と露西亞とは明に英國の敵なれば今日英國が日本と同盟したればとて是れが爲めに彼の二國の敵心を別段に増加するの憂はある可らず其邊に就ての心配は都て無用なりと知る可し

今回戰敗の結果として支那帝國の運命は如何に成行く可きや之を前知すること甚だ難しと雖も吾人の所見を以てすれば其北部は次第次第に露西亞の爲めに蠶食し終られ其南部は分裂して數多の獨立國と爲るならん兎に角に支那の潰裂瓦解は世界の耳目を驚かしたること日本の勝利に劣らざるものあり吾人は唯今日まで英國人民が殆んど自家の同盟國の如くに思ひ居たる支那帝國の全く無力無能なる事實を世界に暴露したる者が日本にして露國にあらざりしを祝する者なり今回の戰爭中にも度度證明せられたる如く凡そ戰に勝たんとする者は前以て萬端の凖備を整へ事に臨んで狼狽せざるの覺悟最も肝要なり英國人も能く此教を守り熟ら從來の形勢を考究して豫め大に决する所なからざれば他年事あるの時に後悔を免かれざる可し