「市内の電気鉄道」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「市内の電気鉄道」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

市内の電気鉄道

近頃東京府下に電気鉄道敷設の計画あり或は其敷設法にも種種の式あるよしにて自ら利害論もあらんなれども技術上の事は我輩の関せざる所として之を擱き単線式にても苟も線を空中に架して電気を通ずるものは市中の美観を損するの恐れありとて其計画に反対するものありと云ふ驚き入りたる次第なりと云ふ可し抑も市中の美観とはなんぞや西洋文明諸国の都府の如きは市中到る處に電線を架して恰も蜘蛛の巣を張りたると一般なるに反し支那の北京、朝鮮の京城などは全市外に一本の電線をも見るを得ず孰れを目して美観と認む可きや反対者は果して東京を北京京城と同一ならしめて満足せんとするものなるや否や現に今日に於ても東京府下には電信電話電灯の架空線、市中に縦横して市民の便利一方ならず地方人などは之を見て府下の繁盛を卜することなるに果して架空の電線を以て美観を損するものと為すときは是等の線も悉く取り払はざる可らず到底実際に出来ざることなり或は電信線の如きは高き柱の上に懸かりて頂上を通過するが故に妨げなけれども電気鉄道の線路は割合に低くして人のめに触れ易きが故に目障りなりと云はんかなれども若しも此点より見るときは彼のむさくるしき人力車が客を載せて市中を走り又瓦落駄馬車が疲馬を駆り雨後の泥濘を飛ばして人を苦しむるが如き最も目障りの甚だしきものならずや電気鉄道は客車の外観綺麗なるのみならず車の動揺少なくして乗り心も甚だ愉快なりと云へば一たび開業の上は彼の破れ人力、瓦落駄馬車の如き自ら数を減ずるに至る可し寧ろ市中の美観を増すものに非ずや且つ又今の東京は市中の広き割合に往来交通の便甚だ少なし左れば役所又は工場等に日日通勤する小役人職工労働者の如きも自ら其近辺に居を占むるもの多きが故に高楼の隣に矮屋を認め大店の側に長屋を見る等、市街の外観甚だ不体裁なれども市の内外を通じて電気鉄道の敷設を見る時は下流の輩は其便利を利して遠く市外に居を移し市外の体裁も自ら観を改むるに至る可し鉄道電線は文明の利器にして其数の多少は以て一国進歩の度を卜するにたる可し世界普通の例なるに然るに市街の美観云云の為めに之に反対とは何事ぞや矮の解せざる所なり或は又電気鉄道の架空線は火災消防の妨げと為るが故に許す可らずとの説もsるよし今日まで電信電話等の架空線の為めに消防に不便を感じたるの談を聞かざれども仮りに一歩を譲り電気鉄道の電線は一種特別の設けなるが故に消防器械の運搬等に妨げありとせんか一二条の細線いよいよ非常の場合にはこれを切断すること甚だ容易にして其邊の臨機法は豫め鉄道会社と打ち合わせ置くも可なり消防の不便を避くる方法は自ら其他に工風もある可し決して掛念に及ばざることなり電灯の如き電話の如き最初は種種の反対ありしにも拘はらず実施の上、効能の大なるは世人の既に認むる所なり電気鉄道も同様にして如何なる故障反対あるも一二年の内には必ず其実施を見ること疑ふ可くもあらざれば寧ろ速に之を許して実施の上或は不都合の点もあらば隨て其改良を謀らしむるこそ智者の事なる可し