「臺灣に屯田兵の組織は如何」
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時事新報に掲載された「臺灣に屯田兵の組織は如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
臺灣に屯田兵の組織は如何
臺灣の始末に就て説を爲すものあり黒旗兵勇なりと雖も烏合の衆に過ぎず劉永福は一個の老耄爺のみ然るに兵を用ふること數旬、未だ剿滅の效を見ずとは如何にも緩慢の次第ならずやとて聊か不平なるが如くなれども彼の嶋地は道路■(やまへん+「僉」)惡、氣候炎熱加ふるに土民の抵抗案外頑固にして我進軍に一方ならぬ困難の事情を察すれば其緩慢も决して無理ならず此頃は後發兵も追ひ追ひ到着して既に南進の途に就きたりと云へばいよいよ平定の報に接するは遠きに非ざる可し又或は嶋民駕御の法に就ても百事混亂の今日に於て思ふ所に手の屆かざる遺憾は實際に免る可らず何れも時日の問題として姑く擱き扨今後いよいよ緒に就きたる處にて全體の處分法を如何す可きやと云ふに既に日本の版圖に入りたる上は其嶋民は取りも直さず日本人民なり一切の事を内國と同樣にして我法律を全嶋内に施行し苟も違背せしめざるは勿論、漸次に其風俗習慣を改良して日本化せしめ恩威並び行ふと同時に更らに内國より人民の移植を奬勵して殖産に興業に勢力を全嶋に及ぼし内國人は自から主人の地位を占るに至る可し我輩の期する所にて施政上經濟上の方針は凡そ此邊に在ることとして爰に又大に考ふ可きは同嶋に於ける守備兵の一事なり其守備の爲めには幾許の兵數を要するや知らざれども兎に角に適當の兵數は内國より派遣せざる可らず然るに常備兵の服役期限は滿三年にして期限毎に更代せしむる其不便は容易ならず且つ本國と懸け離れたる嶋地の運命として一旦緩急の時に當り先づ敵襲の衝に觸れて孤立の有樣に陷る可きは必然の勢にして斯る塲合に平時の守備兵のみにては素より不足を感ぜざるを得ず本國の内ならんには兵の運動自由にして臨機の防備に難からざれども絶海の孤嶋は事情自から別にして不如意の憾こそ多からんなれば此邊の用意は平生より講究すること肝要なる可し或は土人を徴募して一種の土着兵を組織し英領印度に於ける土人兵の如くするも自から一法なれども土人に兵事教育を施して實際に使用するに至るまでは多少の年月を要して容易の談に非ず左れば我輩の所見を以てすれば大に内國人の移植を奬勵すると同時に特別の法を設けて國中の男子にして兵役に堪ふるものを募り相應の保護を與へて彼の地に移住せしめ漸次に屯田兵の組織を計畫して實用に適す可しと信ずるものなり九州邊の士族などには必ず移住を望むもの多くして人員に不足はなかる可し斯くて屯田の組織次第に整頓するときは其割合に派遣兵の數を少なくして三年の期限毎に多數の兵員を更代せしむるの不便も次第に■(にすい+「咸」)じ又嶋治の爲めには憲兵巡査等の如きも多人數を要することなれば或は一種の便法に由り屯田兵をして憲兵巡査の職務を兼ねしむるも自から一擧兩得の策なる可し兎に角に新版圖の守備を獨立の姿にするは平時に於て新地開拓の利を利し有事の日には一時自から守るの趣向にして既に北海道には實行の經驗もあることなれば之を南海に試るも决して無稽にあらざる可し但し兵事上の利害は我輩の深く知る所に非ず唯思付きたる儘を記して教を乞はんと欲するのみ