「軍備計畫の調査」
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時事新報に掲載された「軍備計畫の調査」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
軍備計畫の調査
軍備の擴張に付き調査を必要なりと云ふ其調査とは如何なる點を調査せんとするものなるや技術上の事は姑く擱き例へば軍艦の製造なり軍隊の組織なり砲臺の建築なり單に擴張の計畫を立つるは難からずと雖も第一に考ふ可きは資金の點にして其多少に應じて計畫にも自から大小なきを得ずよくよく其出處を取調べ之に割合ふて精密の計畫を爲すは實際に容易ならず所謂調査とは此兩者の割合をして適度を得せしめんとすることなる可し抑も軍備は目下一時の要に應ずるものあり今後永久の計を爲すものあり例へば軍艦兵器の如き其命脈は自から一定の期限あり目下の用に供し今人一代の間に消費するものにして其費用は今人の負擔に歸す可きこと至當なり如何なる事情あるも後世子孫に累を遺す可きに非ざれば是種の擴張費は租税の増課なり又は一時の借入金なり今人一代の負擔に止め父母の借財の爲めに子孫を苦しむるが如きは斷じて許さざる所なれども今後永久の爲めにするものに至りては假令ひ今人の計畫に出でたるにもせよ所謂子孫萬世の計にして其利澤を受るものは今人も後人も同一樣なるのみか寧ろ後人を利すること大なるものなれば其費用は獨り今人のみ負擔するの理由を見ず之を子孫後世に賦課して差支なきものなり喩へば東京市區改正の事業の如き正しく今人の計畫にして目下正に着手中なれどもいよいよ目的を達して充分の成蹟を見るは今後何年の後を期せざるを得ず其曉に至れば果して計畫通りに行はれて都府の美觀を備へ居民の愉快を増すことならんと雖も其事のいよいよ成功を告るまでは尚ほ幾多の年月を要して或は今の市民中には其成功を目撃するに及ばざる人も多かる可し即ち子孫後世永く其利を受けて獨り今人の爲めにするものに非ざれば其費用を市の負擔として永年月の間に償還するの趣向は事の當を得たるものと云ふ可し左れば軍備計畫の中にも目下の必要と百年の長計と自から區別あることにして彼の造船所船渠の如き製鋼所の如き砲臺要塞の如き若しくは陸海軍人教育法の基礎の如き何れも永遠の計にして後代に存するものなれば其必要は軍艦兵器に比して毫も異なる所なく前後緩急を云はずして同時に着手す可きこと勿論なれども其費用の一點に至りて目下の必要と永遠の計畫とを併せて一代の間に負擔するは實際に堪へざる所なれば一代に消費して單に今人の爲めにす可きものは増税なり其他の方便なり今代の人民にて負擔し永遠に保存して後世子孫永く其利を受く可きものは之を永久の負擔として公債の方便に依ること至當なる可し凡そ此邊の緩急に注意して調査を遂ぐるときは費用の一段に至り難きに似て易きあり易きに似て難きあり百萬の金も一年に消費し盡せば苦勞なるに反して千萬の大金は之を五十年に償却して負擔の輕きものなり我輩は唯當局者の胸中に數の多少と時の長短と二樣のものを加除して然る後に决斷せんことを願ふのみ