「戰後の支那人」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「戰後の支那人」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

戰後の支那人

近來日本人が公用又は商用の爲めに北京、天津、上海等支那の地方に行くもの少なからず戰後の人心激昂の折柄、多少の間違は免る可らずと思ひの外、實際彼の人氣は非常に穩にして絶えて亂暴がましき擧動なく日本人に對して石一つ抛つものさへなしと云ふ公使並に領事の一行の如きは彼の政府にても戰後の國交を謹しむの趣意より特別の注意を加へ保護の手段も疎かならざることならんなれば自から別なれども普通の人民が單身獨行、彼の内地を旅して身邊絶えて危險の掛念なしと云ふに至りては寧ろ驚かざるを得ず堂堂たる中華の大國を以て■(くさかんむり+「最」)爾たる嶋夷の爲めに苦しめられ散散に失敗の末、土地を割かれ償金を取られ非常の屈辱を蒙りたる其怨は骨髓に徹して忘れざることならん如何にもして之を漏らさんとするは戰敗國人の情に左もある可きことにして若しも彼我地を易へ日本人をして斯る境遇に處せしめたらんには支那人の内地旅行の如きは當分覺束なき次第なるに然るに彼の人氣は甚だ穩にして毫も掛念するに足るものなしと云ふ吾吾日本人の心を以てすれば驚かざらんと欲するも得べからざるなり抑も戰後激昂の人心を抑へて不穩の擧動なからしむるには自から二樣の事情あり國民堪忍の心に乏しからずして能く公私の別を明にし戰の勝敗は國と國との關係にして人民の私事に非ず私に憤を漏らして國事を誤るは得策に非ずとて佛國の人民が獨逸に對する如く終生忘る可らざるの公憤を懷きながら毫も擧動に現はさずして表面の交際甚だ穩なるものあり又一つには警察の探偵甚だ嚴密にして水も漏さぬまでに行屆き不穩の擧動を演ぜんとするも寸分の隙もなきものあり何れも人心を抑へて穩ならしむるものなれども支那の有樣を如何と云ふに人民に勘辨の心ありやなしやは今更ら問ふを要せず彼の新聞紙などを見れば戰後の餘憤を漏らすが爲めに我に對して罵詈讒謗到らざる所なきのみか甚だしきは政府の官報にさへも嶋夷云云の文字を用ひ公然日本を指斥して憚からざるなど到底公私を分別して自から擧動を謹しむの勘辨はある可らず又警察の如き彼の國に於ては其仕組さへも見る可らず探偵を嚴密にし人民の非擧を未然に制するなどは素より力の及ばざる所なり既に國民に勘辨の心なく又警察の力、以て人民を制すること能はず而して人氣の斯くも穩なるに就ては自から他に原因なきを得ず我輩の所見を以てすれば其原因は即ち彼れ支那人が無氣無力、一身あるを知て國あるを知らず自身の生命財産さへ安全にして生活に差支なければ如何なる國辱を蒙るも敢て〓とせざるのみか甘んじて他の指命に就かんとする固有の腐敗心に外ならず彼の人氣の穩なる一事、輕輕に〓〓すれば怪しむに足らざるが如くなれども仔細に〓〓するときは大に然らず如何となれば此一事以て彼の國民の爲すに足らずして國運の成行既に定まる所あるを知るに足ればなり