「嶋民の叛抗」
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時事新報に掲載された「嶋民の叛抗」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
嶋民の叛抗
臺灣嶋民の叛抗は案外頑強にして鎭撫に容易ならず彼等は何れも烏合の衆に過ぎざれども天然の地物を利用して隱現出沒、我兵を惱まして侮る可らざるものある其上に南方に割據する彼の劉永福の麾下兵も數萬に下らず叛民等と氣脈を通じて飽くまでも抵抗を試みんとするは事實に明白なり當局者も茲に見る所ありて更に大軍を發し根底より剿滅するの計畫に決し目下おひおひ之を實行していよいよ全嶋掃蕩の實を見るは數箇月の後を期せざる可らずと云ふ既に我版圖に歸したる嶋地の處分に斯くまでの力を勞するとは事情止むを得ずとは云へ聊か無益に似たれども我輩は寧ろ後來の始末の爲めに好都合なりと認むるものなり抑も臺灣處分の困難は嶋民等を制御するの難きに非ず彼等が如何に頑強なりと云ふも我威力を以て臨むときは之を懲らす甚だ容易のみ只多少の時日を費すに過ぎざれどもいよいよ威力に服せしめたる上、我政法を施して其風俗習慣を一變し彼等をして眞實日本化せしむるの一段に至りては實際容易ならずして大に苦しまざるを得ず例へば遼東半嶋の人民の如き甚だ從順にして毫も抵抗の意なきのみか一たび日本軍隊の過ぐる所は恰も草の風に靡くが如く競ふて歸順を表し一見甚だ與し易きが如くなれども元來支那人は政治上に於てこそ無氣無力如何なる國の支配に歸するも全く無頓着にして從順なるに拘はらず自家の風俗習慣を固執して頑然動かざるの一點に至りては殆んど先天の痼疾にして之を療すること甚だ難し彼らの平素に明白なる事實にして若しも遼東半嶋が實際我版圖に入りたりしならんには其征服の容易なるに引換え此一點に就ては必ず困難を感じたることならん左れば臺灣の嶋民の如き彼の大陸の人民に比すれば同日の談に非ず其風俗習慣は今日尚ほ未だ本國たる支那にも同化せざるものなれば況して之を導て日本風に化せんとするは易き事に非ず阿片の一事に付ても我國法の嚴禁なれども彼等は一般に之を嗜むこと甚だしく全嶋擧て毒烟地の有樣なりと云へば内地同樣法律を施行せんとするも實際の取締甚だ困難にして到底行届く可きに非ず又その經濟の事情如何を問へば不文未開の粗野にも似ず蔭險狡猾、利心に敏きは彼等の性質にして錢に當れば乃ち智惠を現はし既墾の田畑は申す迄もなく未開の原野山林に至るまで悉皆吾々の私有なり苟も他人に犯さる可き理由なしなど却て我法律を利用して私有權を主張し種々の手段を運らして自利を營まんとするものもある可しと云ふ内地より移住して取り敢へず企業に着手せんとする人々は爲めに困却せざるを得ず凡そ是種の始末に就ては必ず多少の面倒は免る可らずと我輩の始めより期したる所なりしに然るに今や嶋民等が自から力を量らずして抵抗を試みたるこそ幸なれ彼の叛兵と併せて一人も餘さず之を殲滅するは勿論、實際に兇器を執て我に向はずと雖ども苟も日本の政令に服するの意なしと認むるものは寸刻も我版圖の内に差置かず用捨なく境外に放逐す可し全嶋掃蕩の實行に就ては時日を要すると共に其費用も容易ならざることならんなれども此一擧の爲めに一時に掃蕩の功を奏して後來の面倒を一掃するに至れば永遠に非常の利益にして目下の費用の如き敢て言ふに足らず或は彼の叛徒に對して支那大陸より竊に兵器の類を供給しつゝあるやの風説もありと云ふ果して事實ならば支那政府に向て其次第を詰問し或は時宜に由りては彼の政府をして臺灣掃蕩の費用を辧償せしむることも難きに非ざれども是れは事實上の問題にして我輩の知る所に非ず兎に角に嶋民の叛抗は嶋地處分の爲めに事の便利を得たるものとして寧ろ我輩の喜ぶ所なり