「再び軍艦の注文に就て」
このページについて
時事新報に掲載された「再び軍艦の注文に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
再び軍艦の注文に就て
我國の軍艦製造に付き其幾分を米國に注文す可しとの次第は我輩が過日の紙上に記して當局者の注意を乞ひたる所なり其注文に就て第一に注意す可きは技術の點にして聊か述べたれども更に詳細の事情を記さんに米國は彼の南北戰爭の爲めに巨額の金を費したるの結果として海陸の軍費に大節■(にすい+「咸」)を加へ軍艦製造の如き一時中止したれども千八百八十二年即ち明治十五年に至り財政の回復と共に海軍擴張の必要を感じて製艦の事業に着手し爾來その造船業は頓に進歩して多數の船艦を製出し歐洲の諸國に比して一歩も讓らざるの實を呈せり同國の造船所にて第一に指を屈す可きものはヒラデルヒヤ府なるウヰリヤム クランプ會社にして明治十九年以降同會社にて製造したる軍艦は一等戰闘艦三隻(アイオワ、インデアナ、マツサチユセツ)一等巡洋艦四隻(ニユーヨーク、ブルークリン、コロンビヤ、ミネアポリス)にして就中後記の二隻の如きは速力輕快の點に於て無双の名を博し其他二等巡洋艦三隻(ボルテモーア、ヒラヂルヒヤ、ニウワーク)も亦同社の手に成りて何れも世界の好評を得たりと云ふ本來米國は技術の國にして汽船の發明を始めとして電信、電燈、電話、其他の諸器械は申す迄もなく就中甲鐵艦の如きも米人の新工風に成り技術の點に於ては世界に肩を比するもの少なし殊に近年來軍艦の製造は精錬の伎倆を事實に證明して噸數、排積、馬力等その設計に於て同一ならしめば歐洲諸國に比して同等の船艦を製出し得べきは事實に疑なき所なり只考ふ可きは費用の一點にして米人の言ふ所を聞くに苟も日本政府の注文を引受くるときは歐洲製の者に等しき堅艦を造り價の點に於ても構造の點に於ても毫も他に讓る所なくして以て注文者を滿足せしむるは甚だ易しとて曾て疑はざるものの如し果して然るや否や局外者の知らざる所なれども其筋に於て實地取調べの上相當と認めたらば試に一二隻を製造せしめて其結果の如何に由り續續注文せんこと我輩の望む所なり米國に軍艦を注文するに就て其利益を云へば假りに之を歐洲の造船所に命じたりとせんに恰も其落成の時に際して偶ま國際上の葛藤を生ずることもあらんには或は既成艦の引渡を拒まるることもある可く或は然らざるも〓航海上の危險も圖る可らざるに反して米國なれば是等の掛念あることなし又日米間の貿易を見るに如何にも不平均にして我より輸出するものは甚だ多く彼より輸入するものは甚だ少なし斯る事相の永續するは兩國の通商上に事の妙を得たるものに非ず吾吾の遺憾とする所なれば幸ひ軍艦を彼に注文して其不平均の幾分を醫して以て平生の遺憾を償ふ可し云云とて聊か前號にも述たれども貿易不平均の一事に就ては尚足らざる所あれば更に事實の數を示して之を補はん〓〓〓〓〓の産物を米國へ輸出する額は〓〓諸國へ〓〓〓〓〓〓よりも多く〓〓例へば生絲は〓〓〓〓の中〓〓〓〓の〓、絹〓〓〓〓〓〓〓〓二、茶は同じく〓〓〓〓〓〓〓〓米の〓〓は輸出するもの〓〓今明治十八年〓〓同廿七年迄〓近十年間の統計に據て全體の數を算するに日本より米國へ輸出の總額は二億六千四百四十一萬七千二百卅七圓、歐洲諸國への總額は二億一千七百七十四萬五千二百四圓にして歐洲に比して米國の超過額四千六百六十七萬二千卅三圓なり又日米兩國を比較すれば米國にて日本より購入したる物品の金額は前記の如く二億六千四百四十一萬七千二百三十七圓なるに反し日本にて米國より購入の額は五千七百九十六萬九百八圓にして差引き米國の購入超過額二億六百四十五萬六千三百二十八圓は米國より正金を以て日本に支拂ふたるものなり而して日本にて歐洲より購入したる金額は三億三千八百八十六萬六千一圓、歐洲にて日本より購入したる額は前記の二億一千七百七十四萬五千二百四圓即ち此一億二千百十二萬七百九十六圓の差額は日本より正金にて歐洲に支拂ひたる高にして取りも直さず米國より受取たる金を以て其支拂に充てたるものなり更に昨明治二十七年に於ける一年間の計算に據るも米國の購入額は四千三百三十二萬三千三百五十七圓にして日本の購入額は一千九十八萬二千五百五十八圓に過ぎず即ち此一年間に於て米國は三千二百三十四萬九百九十八圓の正金を日本に支拂ひたるを見る可し右の如く貿易に不平均の甚だしきは兩國の和親通商上に於て遺憾この上もなき次第なれば責めては軍艦の製造を彼に托して我國に對して友情の最も温なる米國人の好意に酬ゆるは國人の一般に希望する所なる可し聊か數字に據て前説の不足を補ふのみ