「臺灣遠征軍」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「臺灣遠征軍」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

臺灣遠征軍

昨年清國と戰端を開きて我兵が韓清の海陸に轉戰する中國中一般の人氣は非常に激昂して津津浦浦の端に至るまでも敵愾心を發生し或は義勇兵の團結を企るあり或は軍資金の私據を計畫するあり何れも義勇報國の精神に〓したるものなれども國家に常備兵の設ある上は普通人民の從軍は漫に許す可きに非ず又軍資金の如きも政府にて公に軍事公債を募集することに决して私の計畫は共に思ひ止まるに至りしかども海陸の軍人が海外に〓〓して熱暑〓〓を事ともせず國の爲めに身命を抛つに當り一般の國民たるものは安閑坐視す可きに非ず一〓一〓の彼と〓も寸〓を表して多少にても其勞苦を慰むるこそ本意なれとて續續金品の寄贈を出願したるにぞ政府にても特に恤兵部なるものを開き國民よりの寄贈を受納して在外の軍隊に傳送するの勞を取るに至れり當時兵馬倥偬の際、戰地の運送も頗る不便のみならず寄贈の物品も其種類區區にして配分法の如き實際に困難なりしならんと雖も今日に至りて凱旋したる軍人の談を聞くに覺悟の前とは云ひながら戰地に於ては百事不自由不愉快を極めて一として心を慰むるものとてはなき折■(てへん+「丙」)、國民よりの寄贈品なりとて一本の卷煙草、一盃の冷酒にても贈與せられたる其時の嬉れしさは喩へんに物なし戰陣に臨みたる上は軍人の一身は既に國に捧げて亦思ふ所なき〓なれども吾吾の斯る决心を一般の國民は如何に見るならんとの念は自から懷に離るるを得ず然るに國民が其心を察して斯くまでに吾吾を愛するの情に切なりとあれば假令ひ寄贈の物は微なりと雖も其親愛の心は肝に銘じて敵に對するの勇氣も自から百倍するの思あり軍人の决心を固からしむるは實に國民の親愛心に在り云云と云へり恤兵の効能甚だ大にして寄贈の意志も充分に貫徹したるものと云ふ可し今や征清の擧全く終結して在外の軍隊も大抵凱旋したれども顧みて一方を見れば臺灣の處分未だ緒に就かずしていよいよ全嶋掃蕩の功を奏するは尚ほ數個月を期す可しと云ふ世人の知る如く彼の嶋地は氣候炎熱、道路險惡、加ふるに流行病の危險さへなきに非ず殊に賊兵等の抵抗は案外頑固にして北清地方に戰ひたる弱兵の比に非ずと云ふ出征軍の辛苦察するに餘りある可し或は臺灣は既に我版圖に期して其掃蕩は内亂の鎭壓に外ならず賊兵等が如何に抵抗を試むるも早晩、殲滅に期せざるを得ず清國との戰爭に比して關係の大小同日の談に非ざるが如くなれども關係の大小は兎も角もとして出征の軍隊が國の爲めに身命を致すの一段は同一にして然かも天候と云ひ地理と云ひ又賊兵の頑強と云ひ實際の勞苦は實に容易ならざることなりと推察せざるを得ず過般來征清軍隊の凱旋に就ては國中到る所に歡迎の催しあり凱旋軍の歡迎甚だ可なりと雖も頭を回らして海南萬里尚ほ遠征苦戰の人あるを思はば國民たるものは一方に凱旋軍を迎ふると同時に一方に遠征軍を慰むるの考なきを得ざる可し昨今世間に於ても追ひ追ひ其邊の計畫少なからず政府にても再び恤兵部を開くの議ありと云ふ我輩は其方法の如何を問はず只恤兵の擧の速に實際に行はれんことを切望するものなり