「天壽を全ふす可し」
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時事新報に掲載された「天壽を全ふす可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
天壽を全ふす可し
凡そ人間が社會に處し目的を定めて事業を成すには腕と運と壽命との三を具ふること必要にして苟も其一を欠ぐときは事の大成は先づ以て覺束なかる可し腕とは即ち其人の技倆にして或は天稟の材力もある可く或は修養熟練の力もある可し人人に由て自から異なれども人の遇不遇は時の運に由ること多くして相應の腕はありながら之を振ふの機會を得ずして終生力を伸ぶること能はざるものも少なからず然れども既に腕の力を備へ又時の運を得て技倆を現はすの機會に遭ふも其人にして不幸短命なるときは志は遂に達す可らず盖し人間の材能には早成あり晩成あり又不遇の間に半生の歳月を消〓ながら後年に至りて幸運に際會することあり腕、運、壽命の三と云ふ中にも壽命の最も大切なるを知る可し例へば徳川家康公の如き不世出の大英雄にして一生の經歴も甚だ幸運なりしと雖も若しも豊太閤在世の間は不幸にして世を辭したりしならんには天下一統の大業は到底望む可らざるのみか或は關原の前後人心の方向未だ全く定らざる時に於て其事あるも三百年太平の創業は覺束なかりしことならん又明治維新の功臣にしても木戸大久保の如き先輩をして今日まで生存せしめたらば其名望は自から後進の儕輩を壓して政府部内の統一を致し其成就する所は今の侯伯など稱し自から得得たる政治家の成蹟に比して必ず大に見る可きものありしならん抑も人間の材力は修養經驗に由りて發達するに相違なしと雖も其發達には自から限りありて人人必ずしも非凡の英才たるを臨む可らず又その運不運も時の廻り合せにして人力を以て如何ともす可らずと雖も人の壽命に至りては苟も生來虚弱の人に非ざる上は平素の養生法如何に由りて天然の壽を全ふするは敢て難きに非ず左れば不幸にして志を得ざるものとても長き一生涯の其間には大に力を伸ばすの機會に遭ふことも决して望なきに非ず况んや既に頭角を露はして相應の地位を占めたるものに於てをや壽命の長きと共に如何なる發達も計る可らず苟も立身出世宿昔の目的を達せんとするの志あるものは何は兎もあれ攝生を專一にして心身の健康を心掛くるこそ第一に肝要なれ然るに我輩の解せざるは今の浮世の風習にして少しく志を得て生活に餘裕を告ぐるに至れば忽ち衣食住を美にして身體の安逸を謀り時としては暴飮暴食夜を徹して不潔の樂に耽るか然らざれば書畫骨董を弄び圍碁謠等を事とし終日身體を動かさずして室内に閑居するなど共に養生の法を得たるものに非ず彼の少壯、事を企てて半途にして倒れ或は年未だ初老に達せざるに氣息既に奄奄として事に堪へざるもの多きが如き畢竟不養生の結果に外ならず愚の甚だしきものと云ふ可し苟も小成に安んぜずして大に事を成さんとするものは特に注意して心身の健康を〓〓〓て〓〓〓壽命を全ふするの工風を謀る可きものなり