「軍備擴張の眞意」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「軍備擴張の眞意」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

軍備擴張の眞意

西洋の新聞紙を見るに日本は深く露の干渉を怒り此怨み一日も速に報ぜざるべからずとて軍備の擴張に汲汲たりと云ひ或は西伯利鐵道の未だ成らざる今日に於て早く爲す所あるも亦一策ならんと説き日露の關係甚だ切迫せるが如く論ずれども都て是れ日本の意志を知らざるものなり日本人は固より感情強き人種にして人の來て無禮を加ふるあるに於ては則ち烈火の如く怒り一旦大事發するに及んでは國の焦土となり同胞の孑遺なきに至るまでも我權利面目の爲めに爭ふべしと雖も又一方に於ては虚心平氣、冷かに事物の利害得失を較量し成敗利鈍を熟察して辱を忍び情を制し自から輕擧妄動を戒むるの理性に富むは日清事件の歴史を一考するも直ちに明白なるべし前年支那軍艦が長崎に來て大亂暴を働きたるも我は之を忍び朝鮮に於て支那兵の我國旗に無禮を加へ我同胞を虐殺したるも我は成るべく穩便に事を處せんことを冀ひ我保護の下にある金玉金を誘出して兇虐を恣にしたる惡漢あれば彼は是れ見よがしに其惡漢を鄭重に本國に護送し同時に金氏の遺體も軍艦を以て之を其敵人の手に送附して以て我を侮辱せしも我は尚ほ默して傍觀し明治二十七年七月支那が日本の認めて以て獨立國と爲し日本の立國に關係最も深き朝鮮の内亂に乘じて屬邦の實を擧げんとの野心を以て大兵を牙山に上陸せしめ且つ豐嶋沖に於て我軍艦に對して無禮を加ふるに及んで我は始めて堪忍嚢の緒を斷ち此に始めて戰を布告したるの事實に徴すれば日本の能く忍び能く堪へ漫に兇器を弄するものにあらざるを知るに足るべし若し日本にして一時の憤激に乘じて發するものならしめなば日清の戰爭は明治二十七年を待たざりしなるべく三國の干渉に對しても明日と云はず將た明年とも云はず其即時に日を期して浦鹽斯徳を占領したりしならん左れば遼東半嶋に關する露國の干渉は日本人の固より悦ばざる所、又悦ぶ可き筈は萬萬なしと雖も之が爲めに前後を忘却し報復の外に餘念なきこと古代の所謂忠臣孝子が君父の復讎に汲汲として萬事を此一事の犧牲に供するが如き切迫の考を抱かざるは明白なるべし特に日本人は未だ外交の慣例に精通せずと雖も今日の國交際は禽獸の附合を去ること遠からずとの事實を知らざるに非ず信義禮讓など云ふ紙よりも薄き一枚の表皮を剥げば則ち只私利あるのみにして自家の爲めに不利と思ひ且つ我力、以て爲すあるに足ると信ずれば如何なる無理をも云ひ如何なる正しき所爲にも邪魔を入るるに憚らざるこそ國交際の常態なれ是れ式のことは日本人も夙に會心して敢て怪しまざるが故に露國の干渉の如きも快からず思ふと同時に亦唯外交社會尋常一樣の事として之を看過するのみ一犬、片肉を得て將さに食はんとするに臨んで他の羨む所と爲り三犬同盟、牙を鳴らして傍より之を爭ふ奇怪にもあらず不思議にもあらざるなり然らば其一犬たる日本が今日汲汲として軍備を修めんとするは何故なるやと尋れば眼前に特別の敵を見て特別の防備を爲すに非ず單に競爭世界一般の風雲に對して從前不足を感じたる自國相應の防備を全ふせんと欲するのみ我帝國の分限として軍備の不十分なるは多年來〓人の知る所にして之を擴張せんとは兼ね兼ねの宿望なりしかども維新以後國内の内事甚だ多忙にして内亂の始末と云ひ財政の整理と云ひ國會の開設と云ひ憲法法律の制定と云ひ教育制度の始設と云ひ國務繁多、費用も亦少なからずして外を修むるに遑あらざりし其趣は譬へば舊家屋の既に住居に適せざるものを取拂ふて更らに新築を企て家人一同普請の事に忙はしきのみならず同時に萬般の家政を改め家風を新にし世帶の事より衣服飮食、主從の關係、奉公人の使用法に至る迄も一切これを處理せんとして日も亦足らず心には思ひながら戸外の事に手の及ばざりしものの如し然るに今や内の始末も略ぼ緒に就き監督をさへ誤らざれば公私百般の事物自から其方針に進む可き勢を成したる折■(てへん+「丙」)、首を回らして外を■(めへん+「永」)むれば特に或る國と國との間に危急切迫の事情あるには非ざれども日清戰爭の餘響として一般の風雲何となく穩かならざるのみか我帝國には新版圖をさへ得て一層兵力の必要を感ずる此時節なれば支那より償金の入るこそ幸なれ之を利用して聊か軍備を擴張し國民の熱望を慰めて稍や安心ならしめんとするまでのことなり低氣壓の警報に接して俄に驚き俄に用意するに非ず居家の必要、■(かたへん+「戸」+「甫」)戸を綢繆して四時の風雨に備へ以て家人の心を安くするのみ左れば今日我軍備擴張は尋常一樣の國事にして特に注目す可き程の價あるものに非ざるを世界の廣き日本の事情に通ぜざる人は事の外面を皮相して漫に切迫の想像を畫く者あるが如し固より事實に關係なければ吾吾日本國人に於ては之を看過して可なりと雖も左りとては其想像畫客は東洋の形勢を論ずるに當り常に大なる誤に陷る可しと思ひ餘處ながら敢て一言を費して我眞意の所在を示すのみ