「臺灣を經營するに利益損失の念を離る可らず」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「臺灣を經營するに利益損失の念を離る可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

臺灣を經營するに利益損失の念を離る可らず

我輩は前號の時事新報紙上にて臺灣に自由渡航を許す可きを論じたり今又該嶋平定の上にて其經營を如何せんと云へば我輩は常に實際の利益損失に注意して念念忘れざるものなり若しも當局者にして古來世界の戰捷國に有勝ちなる筆法に傚ひ新領地を視ること恰も一塊の分捕品の如くにして兵力以て其維持保存を謀り却て〓計上の利益損失を度外に置くが如き始末ならんに〓〓に臺灣百年の大計の爲めに取らざるのみならず折角の戰利品も向後却て我れを苦しましむるの種子と爲る可し之を外國の例に照すに元來佛蘭西人の殖民政略は隣國たる英國人の殖民に巧にして其成績の美なるを目撃し英人の爲す所、佛人の爲し能はざる理由なしとの競爭心に出たるものなれども如何せん佛の當局者には一定の見識なくして其見る所利益損失の點に及ばざるものの如し左れば前年ポアトウ氏が佛國代議院にて當時の政府を攻撃して曰く

 佛國諸殖民地の人口は二千萬乃至二千四百萬の間にある可し而して佛國政府の毎年殖民地の爲めに費す所七千萬法なり今諸殖民地毎年の總貿易高を見るに四億一千萬法に上ぼれども我本國との取引に係るものは僅に一億七千萬法にして其内佛國より輸入を仰ぐものは七千萬法に過ぎず左れば佛國は七千萬法丈の物貨を賣捌かんとして七千萬法を消費し居る者にあらず哉云云

以上はポアトウ氏が佛國諸殖民地を概括して説を爲したるものなり今又我輩をして單に東京一殖民地の損得勘定を取て論ぜしめなば益益佛國政府の無謀なるに驚かざるを得ず一千八百八十三年佛國が大擧東京を攻略せし以來同九十二年に至る十年間に東京殖民の爲めに費せし處は實に四億七千六百萬法餘の大額に上りたれども同時期間に東京、佛國間の貿易額は僅に六千三百萬法餘にして其内佛國より輸入に係る者は五千九百萬法許なりポアトウ氏の口調に傚ふて之を評すれば佛國は五千九百萬法許の物貨を賣捌かんとして四億七千六百萬法の大金を注ぎたる者と云ふ可し或は殖民政略の目的は營利にあらずして國光を輝すにありと云ふ者あれども一時政策の都合は兎も角も永く新屬地を領して戰捷の餘榮を墜すなからんと欲せば要は唯會計の收支相償ふの一事に在るのみ佛國人が東京の維持に苦しむこと今日の如くなるは畢竟國光談を先にして損得談を後にしたるの罪にこそあれば今日我日本政府に於ても臺灣の經營如何を謀れば目下強硬の軍略固より必要なりと雖も眼中常に損得の勘定を看過せずして先づ第一に内地人の移住を自由にし其殖産興業にあらん限りの便利を與へて毫も束縛する所なく一意專心唯利益の大ならんことを期す可きのみ軍國の名聲を張らんとして其餘波遂に民業を沮格するに至りし佛人の失敗こそ我が爲めの殷鑑なれ呉呉も忘る可らざる所のものなり數年の後に至り臺灣の全嶋は疾く既に平定して帝國の威光赫赫たり但し其會計に就ては年年歳歳内國の國庫を累はして收支償はずなどの奇談もあらんには是れぞ所謂虚名の勝利、實益の失敗にして國光の赫赫も唯是れ石火電光の眼を掠むるに等しきのみ故に我輩の特に殖産興業の要を談ずるは單に損得談に非ずして其實は眞成の國光談なりと知る可し