「戰功と藩閥」
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時事新報に掲載された「戰功と藩閥」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
戰功と藩閥
明治政府の創立は重に強藩士人の力に成りたる結果として所謂藩閥政府の實を呈し爾來二十幾年間その地位を維持したりしも近年社會の進歩と共に政府部内にも自から革新の風潮を催し次第に藩閥の色を■(にすい+「咸」)じて強藩人の勢力も漸く舊の如くならざるに至りし折■(てへん+「丙」)、偶然日清戰爭の端を開て其結局は日本の大勝利に歸し前古無比の大功名を成したる其當局の人人を問へば内に在りて帷幕の計畫に參したるものも外に出でて海陸の攻戰に從ひたるものも強藩出身の士人に多しと云ふ戰功の餘光は甚だ有力にして維新内戰の功名尚ほ且つ二十何年間の地位を維持したり今回の外戰は當年の内戰と同日の談に非ず其大功偉勳は何人も爭ふ可らざる所にして自然の結果として藩閥の勢力を復舊し再び強藩人の得意を見るに至る可しなど竊に掛念するものなきに非ざれども是れは現今の時勢を知らざる輩の説にして無益の心配と云はざるを得ず或は今度の外戰をして十數年前にあらしめ維新の功名尚ほ新鮮にして百事革命のままなる其時代に起りて更らに今日の如き非常の成蹟を收めたらんには藩閥の勢力はますます光を増して一世を壓倒しますます根據を固くして萬萬歳の頌聲を聞きたることならんなれども今の社會は非常に進歩して十年前の社會に非ず民間の事業は商賣なり工業なり獨立に計畫して毫も政府の助を頼まず殊に國會の開設以來人民に參政の權を授けて國事の經營は政府の當局者と共に責任を負擔することとなり實業に政治に政府と對等の地位を成して一歩も讓らざるは正に今日の有樣なり左れば今回の戰功は自から大ならざるに非ず實に前古無比の偉勳にして國の爲めに身命を抛つて斯る結果を收めたる其人人の功勞は國民の明に認めて飽までも感謝する所なれども其功名の光に幻惑し一切の國事を捧げて他の膝下に屈服するが如きは今の人民の决して爲さざる所なり試に軍人の中に就て戰功の著しくして威望の盛なる人人を計ふれば山縣、大山の兩老將を始めとして野津、樺山、伊東、川上等の諸將なれども是等の人人の心事を如何と云ふに終身軍職を奉ずるの覺悟にして政治上に就ては一點の野心もなきが如し若し萬一これありとするも今の政府の組織は軍人等の干渉を許さざるのみか實際に國民一般の悦ばざる所なり人智の進歩は事物の性質を明にして能く文武を區別し戰爭の功名と政治の技倆と一視混同することを爲さずして兩者おのおの其適する所に當らしめ人民は局外より其功名を評し其技倆を視察して後援の力を致すのみ左れば政府が戰勝の餘威を以て天下を壓倒するが如きは政治上に文武の別もなき專制時代の談にして彼の所謂藩閥の生じたる所以も畢竟槍先の功名を事後の政治に利用したるの惡弊なれども立憲開明の治下に於て〓に〓〓の區別を明にして武人は自から政治に參るを好まず政治家は自から武功の餘力を利用して私に威福を弄ぶを得ずとあれば政府部内の誰れ彼れは如何なる大功名を成すも之が爲めに藩閥の再興を促すなどは大勢の許さざる所にして又一方には部内の人も今回の經驗に徴して國家の大事は全國一致國民の後援を得て始めて目的を達す可き事實を悟りたることなれば殆んど今人の記臆にもなき舊強藩の餘光を維持して自家の地位を固ふせんなどの野心は萬萬ある可らず我輩は戰爭の結果、寧ろ藩閥の光を薄くして全國一致の成蹟に歸着す可きを疑はざるものなり