「事實に於て明白なり」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「事實に於て明白なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

事實に於て明白なり

日清戰爭の結果、我國人の思想に大變動を與へたるは疑もなき事實なれども就中文明進歩の効用を實地に示して古流主義の到底頼むに足らざるを證明したる一事は我輩の最も喜ぶ所なり從來古學者流は其思想極めて簡單にして事物の輕重を知らず彼の所謂老儒碩學輩が古人の忠勇義烈談を以て人間最高の行爲と認め國の爲めとあれば一身を犧牲に供する覺悟の外に他能なく時の遲速、數の多少、物の強弱等凡そ實際有形の學理談に至りては輕輕看過し單に西洋流と聞けば之を厭惡し之を輕蔑して文明立國の計を度外に置き忠義一偏、以て國の光榮を維持し得べしと信じたる其所信は今日果して如何ぞや聊か悟る所ある可し今回の戰爭に彼我勝敗の大局を决したるは實に黄海の一戰にして彼の海戰の實際如何を尋るに實地經驗者の所見に於ても世界專門家の公評に於ても我海軍の勝利は軍艦の速力と云ひ兵器の鋭利と云ひ又艦隊の操縱と云ひ器械訓練の點に於て敵に優る所ありしが爲めに外ならずとの説は何人も異議なき所にして一個人の勇怯強弱の如きは殆んど問題に上らざるが如し器械の鋭、訓練の精、如何にして得たるやと云へば一として西洋文明の結果に非ざるはなし又我陸軍の連戰連勝一回も失敗を取らざりしは何の爲めなりや明治の初年士族の常職を解き徴兵令を發布して全國皆兵の制に改めんとしたる其時に古流の人人は之に反對して兵は護國の要具なり土百姓素町人の如き無氣無力、忠義心に乏しき輩をして其義務を負擔せしむるとは軍國の要を誤り尚武の氣慨を損するものなりとて議論頗る喧しかりしかども昨年の開戰以來北清の野を蹂躙して戰へば必ず勝ち攻むれば必ず取り日本兵の名譽を世界に轟かしたるものは實に土百姓素町人の働にして反對論者も此事實に對して顏色なかる可し即ち西洋文明の流義に從て兵制を組織し多年來の訓練を積みたる結果にして最早や一人の疑を容るるものはある可らず目下軍國の急務として兵備の擴張に際し新に着手を要する諸般の施設の如き何れも多多ますます文明流の組織を採用せんとするのみにして苟も斯道に由るに非ざれば一國の獨立も亦覺束なきの事實を知るに足る可し我國の例に引換へて支那の有樣を見るに世人或は一概に清兵の怯弱を侮れども其怯弱は文明の組織訓練を欠くが爲めにして一個人として之を見れば忠勇義烈の精神甚だ盛なるものなきに非ず例へば彼の丁汝昌が艦破れ彈竭きて從容死に就き劉永福が彈丸黒子の地に割據して飽までも我に抵抗し臺灣の土民が婦人に至るまでも死を恐れざるが如き其本國に對して所謂臣節を盡すの一點に於ては古人に恥ぢざるの擧動と云はざるを得ず彼國の歴史に有名なる顏眞卿文天祥の如き何れも忠勇義烈の名を博して我古流學林に於ては其行爲を以て無上の榮譽と認むることなれども憐む可し彼等は國家の急に臨んで只臣子の分に死したるのみ支那後世の歴史家は必ず丁汝昌輩を以て顏眞卿、文天祥と同一に認むることならん一人の覺悟としては忠勇義烈の旨に恊ふたるものならんと雖も國事に於ては毫も益する所を見ず畢竟その國を文明にして富強の基を固ふするに非ざれば百の丁劉ありと雖も只忠義の名を成すのみにして盛衰興廢の大勢は如何ともする能はざるの事實を知るに足る可し左れば今日の世界に立國の體面を全ふせんとするには文明進歩の事物を採用し國の富強を謀るの外に術なきは明明白白の數にして識者の夙に認むる所なれども世間には兎角古學の流義を脱せざるもの少なからずして或は學校の教育などにも忠勇義烈云云の旨を重んじて却て文明の主義を擯斥するの風を成し一時の狂態人をして驚かしめたることもありしに今回戰爭の結果は眼前に物の道理を證明して苟も眼あるものは之を解するに難からず古流の心醉家も此度こそは全く醉を醒ましたることならん今後の國勢は最早や進むの一方にして决して退くの患はある可らず我輩の甚だ愉快に思ふ所なり